・・・まあ家でも持って、ちゃんと一所帯構えねえことにゃ女房の話も真剣事になれねえじゃねえか」「そりゃ、まあね」とお光は意を得たもののように頷いて見せる。「だが、向うは返事を急いででもいるのかい?」「向うはなに、別に急いでもいやしないけ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・と岡本は一所に笑ったが、近藤は岡本の顔に言う可からざる苦痛の色を見て取った。 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・それでなくても私が気に喰わんから一所に居たくても為方なしに別居して嫌な下宿屋までしているんだって言いふらしておいでになるんですから」とお政は最早泣き声になっている。「然し実際明日母上が見えたって渡す金が無いじゃアないか」「私が明日の・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・とお富は立て二人は暗い階段を危なそうに下り、お秀も一所に戸外へ出た。月は稍や西に傾いた。夜は森と更けて居る。「そこまで送りましょう。」「宜いのよ、其処へ出ると未だ人通りが沢山あるから」とお富は笑って、「左様なら、源ちゃんお大事に・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・生物の最下等の奴になるとなんだかロクに分らないのサ、ダッテ石と人間とは一所にならないには極ッてるが、最下等生物の形状はあんまり無生活物とちがいはしないのだよ。所を僕のねじねじ論で観念すると能く分るよ、但しあんまり能く分らない所が少し洒落てい・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・あまり、人をあてにせずに一所けんめいしんぼうしなさい。何でも気をつけてやりなさい。からだに気をつけて、友だちにあまり附き合ない様にしたほうが良いでしょう。皆に少しでも安心させる様にしなさい。」 月 日。 終日、うつら、うつら。不・・・ 太宰治 「悶悶日記」
・・・んだ石燈籠の直立した形と左右に相対して立つ御手洗の石の柱の整列とは、いずれも幽暗なる月の光の中に、浮立つばかりその輪郭を鋭くさせていたので、もし誇張していえば、自分は凡て目に見る線のシンメトリイからは一所になって、或る音響が発するようにも思・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・悲しいかな今のわれらは刻々に押し流されて、瞬時も一所にていかいして、われらが歩んで来た道を顧みる暇を有たない。われらの過去は存在せざる過去の如くに、未来のために蹂躙せられつつある。われらは歴史を有せざる成り上りものの如くに、ただ前へ前へと押・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・もう落付いて一所に話す折もあるまい。シワルドの名残の談義だと思うて聞いてくれ。そう滅入らんでもの事よ」宵に浴びた酒の気がまだ醒めぬのかゲーと臭いのをウィリアムの顔に吹きかける。「いやこれは御無礼……何を話す積りであった。おおそれだ、その酒の・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・戦争の気配もないのに、大砲の音が遠くで聴え、城壁の周囲に立てた支那の旗が、青や赤の総をびらびらさせて、青竜刀の列と一所に、無限に沢山連なっていた。どこからともなく、空の日影がさして来て、宇宙が恐ろしくひっそりしていた。 長い、長い時間の・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
出典:青空文庫