・・・次はラクシャン第三子やさしい眼をせわしくまたたきいちばん左はラクシャンの第四子、末っ子だ。夢のような黒い瞳をあげてじっと東の高原を見た。楢ノ木大学士がもっとよく四人を見ようと起き上ったら俄かにラクシャン第・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・妻と三子あり。高等学校の学生であった頃から父の洋行したい心持はつよく、ロンドンやパリの地図はヴェデカの古本を買って暗記する位であった由。この知識が偶然の功を奏して、当時富士見町の角屋敷に官職を辞していた老父のところへ、洋行がえりの同県人と称・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・斎藤権右衛門には三子があった。長を権之助という。是が四世清元延寿太夫である。諸書にこの人の俗称を源之助と書してあるが、あるいは後に改めたものか。仲は狩谷三平懐之の養子三右衛門矩之である。季が父の称を襲いで権右衛門と云い、質店の主人となったと・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫