・・・「その友だちと云うのは、三浦直樹と云う男で、私が仏蘭西から帰って来る船の中で、偶然近づきになったのです。年は私と同じ二十五でしたが、あの芳年の菊五郎のように、色の白い、細面の、長い髪をまん中から割った、いかにも明治初期の文明が人間になっ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・邦文には吉田博士の『倫理学史』、三浦藤作の『輓近倫理学説研究』等があるが、現代の倫理学、特に現象学派の倫理学の評述にくわしいものとしては高橋敬視の『西洋倫理学史』などがいいであろう。しかしある人の倫理学はその人の一般哲学根拠の上に築かれない・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・旅宿は三浦屋と云うに定めけるに、衾は堅くして肌に妙ならず、戸は風漏りて夢さめやすし。こし方行末おもい続けてうつらうつらと一夜をあかしぬ。 十三日、明けて糠くさき飯ろくにも喰わず、脚半はきて走り出づ。清水川という村よりまたまた野辺地まで海・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
大学生、三浦憲治君は、ことしの十二月に大学を卒業し、卒業と同時に故郷へ帰り、徴兵検査を受けた。極度の近視眼のため、丙種でした、恥ずかしい気がします、と私の家へ遊びに来て報告した。「田舎の中学校の先生をします。結婚するか・・・ 太宰治 「律子と貞子」
・・・金子さんも時々見に来てくれて親切に世話をやいてくれた。三浦内科に空室があるので午後三時頃入院するというので志んは準備に帰宅した。まちが代りに来て枕元に控えていた。 柔らかい毛布にくるまって上には志んの持って来た着物をかけられ、脚部には湯・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・柳橋の何屋に、などと来るだろう。柳橋の三浦屋サ先日高尾が無理心中をしたその跡釜へ今日小紫を抱えたのサもっとも小紫は吉原の大文字に居たのだが昨日自由廃業したと、チャント今朝の『二六』に出て居るじゃないか、とまじめにいうと、アラいやだよ人を馬鹿・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・ 菊池寛は、「三浦右衛門の最後」「俊寛」等で武士道徳のしきたりよりも更に強い人間の生命への執着と生の力の強靭さというようなものをその原形において押し出している。風変りな俊寛は、鬼界ヶ島で鬼と化した謡曲文学の観念を吹きはらって、勇壮に鰤釣・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・永山氏の紹介で、現住三浦氏が各建物を案内し大方丈の戸にある沈南蘋の絵を見せて呉られた。護法堂の布袋、囲りに唐児が遊れて居る巨大な金色の布袋なのだが、其が彫塑であるという専門的穿鑿をおいても、この位心持よい布袋を私は初めて見た。布袋というもの・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・――三浦実道氏に、永山氏からの名刺を出した。 崇福寺などと同様、この福済寺も朱塗で、大棟に鯱や宝珠のついた明風建築だが、崇福寺よりは規模も大きいし、見た目に幾分厳正な感じを与えられる。青蓮堂の軒に、紫檀を枠にした古風なぎやまん細工の大燈・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・戦争御用の芝居をもってあっちこっち打ってまわらなければならなかったろう。三浦環まで満州へ慰問に行かなければならない日本であったのだから。どの程度経済事情がわるかったろう? 文学の人のように、いい作家でも貧乏し、いじめられつづけて来たのだろう・・・ 宮本百合子 「俳優生活について」
出典:青空文庫