・・・故郷の一つであったIの家はとうの昔に一家離散してしまったが家だけは震災前までだいたい昔の姿で残っていたのに今ではそれすら影もなくなってしまい、昔帳場格子からながめた向かいの下駄屋さんもどうなったか、今三越のすぐ隣にあるのがそれかどうか自分に・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ 二 製陶実演 三越へ行ったら某県物産展覧会というのが開催中であって、そこでなんとか焼きの陶器を作る過程の実演を観覧に供していた。回転台の上へ一塊の陶土を載せる。そろそろ回しながらまずこの団塊の重心がちょうど回転軸の・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・ 有名な狸小路では到る処投売りの立札が立っていた。三越支店の食堂は満員であった。 月寒の牧場へ行ったら、羊がみんな此方を向いて珍しそうにまじまじと人の顔を見た。羊は朝から晩まで草を食うことより外に用がないように見える。草はいくら食っ・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・ 気が付いたら室町の三越の横を走っていたので、それではじめてあらゆる幻覚は一度に消えてしまって単調な日常生活の現実が甦って来た。そうして越えて来た「試験」の峠のあとの青空と銀杏の黄葉との記憶が再び呼び返され、それからバスの中の女優の膝の・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・例えば山出しの批評も時には三越意匠部の人の参考になるかもしれず、生蕃人の東京観も取りようでは深刻な文明批評とも聞える事があるかもしれない。 この稿を起したもう一つの理由は、友人としての津田君の隠れた芸術をいくぶんでも世間に紹介したいとい・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・安井氏のを見ると同氏帰朝後三越かどこかであった個人展の記憶が甦って来て実に愉快である。山下氏のでも梅原氏のでも、近頃のものよりどうしても両氏の昔のものの方が絵の中に温かい生き血がめぐっているような気がするのである。故関根正二氏の「信仰の悲み・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・いつか三越の六階で薔薇を見ていたら、それにもちゃんとこの虫がついたままに正札をつけてあるのを発見して驚いた事がある。専門家でもこれを完全に駆除するのは困難だとすると、自分等の手に畢えぬのは当然かと思われた。とにかく去年などは幾株かのばらとつ・・・ 寺田寅彦 「蜂が団子をこしらえる話」
発病する四五日前、三越へ行ったついでに、ベコニアの小さい鉢を一つ買って来た。書斎の机の上へ書架と並べて置いて、毎夜電燈の光でながめながら、暇があったらこれも一つ写生しておきたいと思っていたが、つい果たさずに入院するようにな・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・ 丸善を出てから銀座のほうへぶらぶら歩いて行く事もあるが、また時々三越へ行く事がある。 白木屋のへんから日本橋を渡って行く間によく広重の「江戸百景」を思い出す。あの絵で見ると白木屋の隣に東橋庵という蕎麦屋がある。今は白木屋の階上で蕎・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・私は三越でこさえた白い麻のフロックコートを着ましたが、これは勿論、私の好みで作法ではありません。けれども元来きものというものは、東洋風に寒さをしのぐという考も勿論ですが、一方また、カーライルの云う通り、装飾が第一なので結局その人にあった相当・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫