・・・勾配のひどく急な茅屋根の天井裏には煤埃りが真黒く下って、柱も梁も敷板も、鉄かとも思われるほど煤けている。上塗りのしてない粗壁は割れたり落ちたりして、外の明りが自由に通っている。「狐か狸でも棲ってそうな家だねえ」耕吉はつくづくそう思って、・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・待ち受けた太郎からのはがきを受け取って見ると、四月の十五日ごろに来てくれるのがいちばん都合がいい、それより早過ぎてもおそ過ぎてもいけない、まだ壁の上塗りもすっかりできていないし、月の末になるとまた農家はいそがしくなるからとしてあった。「・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ほんとうは、というそんな言葉でまたひとつ嘘の上塗りをしているようで。」「や、これは痛い。そうぽんぽん事実を突きたがるものじゃないな。私はね、むかし森鴎外、ご存じでしょう? あの先生についたものですよ。あの青年という小説の主人公は私なので・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・、がたがた震えまして、極度の恐怖感のため、へんな性慾倒錯のようなものを起し、その六十歳をすぎた、男子にも珍らしいくらいの大きないかめしい顔をしているお婆さんに、こんな電報を打ってしまって、いよいよ恥の上塗りを致しました。ナンジニ、セツプンヲ・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・つとめればつとめるほど私は嘘の上塗りをして行く。勝手にしやがれ。無意識の世界。三郎は朝っぱらから居酒屋へ出かけたのである。 縄のれんをはじいて中へはいると、この早朝に、もうはや二人の先客があった。驚くべし、仙術太郎と喧嘩次郎兵衛の二人で・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・いちばん弱虫で病身でいくじなしであった自分はこの年まで恥をかきかき生き残って恥の上塗りにこんな随筆を書いているのである。 中学の五年のとき、ちょうど日清戦争時分に名古屋に遊びに行って、そこで東京大相撲を見た記憶がある。小錦という大関だか・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・その上にかてて加えて往々記者の認識不足が不合理の上に不自然の上塗りをするのであろう。 映画の場合においてもカメラを向け動かすものは人間であるから、そこに選択の自由があり従って人為的な公式定型の参加する余地は充分にある。しかしレンズとフィ・・・ 寺田寅彦 「ニュース映画と新聞記事」
・・・ポツダム宣言、世界憲章の人類的な道義の道はそれとして虹の橋のように美しくむなしく空に架けておいて、日々の人民生活の現実は民主化の上塗りのかげに出来るだけ発言のよわい、依らしむべき民、原住民としてのこしておこうとする金権力の二重の欲望があるこ・・・ 宮本百合子 「三年たった今日」
・・・二階の壁の上塗りははげ落ち、きずだらけで随分きたなかった。妙な建てかたで、数の少い外窓の内側が窮屈な廊下になっていて、その中に広間があった。階段口の右手に、狭い小室が一つある。 ひろ子は、荒れてきたない廊下のところに立って、重吉はどこに・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫