・・・けれども、実に不慮の事件が突発した。査閲がすんで、査閲官の老大佐殿から、今日の諸君の成績は、まずまず良好であった。という御講評の言葉をいただき、「最後に」と大佐殿は声を一段と高くして、「今日の査閲に、召集がなかったのに、みずからすすんで・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・大きいつらをしやがって、いったい、なんだと思っているんだ等と、不慮の攻撃を受ける事もあるものである。先日、私は新宿の或る店へはいって、ひとりでビイルを飲んでいたら、女の子が呼びもしないのに傍へ寄って来て、「あんたは、屋根裏の哲人みたいだ・・・ 太宰治 「容貌」
・・・そしてそれが今度の不慮の死に関する一つの暗示ででもあったような気がしてならない。 あの時同じ列にすわった四五人の中でもう二人は故人となった。そのもう一人は歌人のS・A氏である。 過去帳 丑女が死んだというしらせが・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ 探険の興は勃然として湧起ってきたが、工場地の常として暗夜に起る不慮の禍を思い、わたくしは他日を期して、その夜は空しく帰路を求めて、城東電車の境川停留場に辿りついた。 葛西橋の欄干には昭和三年一月竣工としてある。もしこれより以前に橋・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・わずか十五分の間にそうして決められた自分たちの一生の方向、それはピエールが不慮の死をとげて八年を経た今日、あれほどピエールが望んでいてその完成を見なかった研究所が落成されている今日、マリアの心を他の方向に導きようのない力となって作用したので・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・万一あなたの身に不慮のことがあったとき、指紋さえあれば、すぐあなたの身元がわかりますから、と云われて、うれしい世の中と思うひとがあるだろうか。水夫は、水難し、漂着したときの目じるしに、いろいろ風の変った入れずみをする。だからと云って世界周遊・・・ 宮本百合子 「指紋」
出典:青空文庫