・・・「僕もこの頃は不眠症だがね」「僕も?――どうして君は『僕も』と言うのだ?」「だって君も不眠症だって言うじゃないか? 不眠症は危険だぜ。……」 彼は左だけ充血した目に微笑に近いものを浮かべていた。僕は返事をする前に「不眠症」の・・・ 芥川竜之介 「歯車」
わたしはすっかり疲れていた。肩や頸の凝るのは勿論、不眠症もかなり甚しかった。のみならず偶々眠ったと思うと、いろいろの夢を見勝ちだった。いつか誰かは「色彩のある夢は不健全な証拠だ」と話していた。が、わたしの見る夢は画家と云う・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・僕は今不眠症にも犯されていず、特別に神経質にもなっていない。これだけは自分に満足ができる。 ただし蟄眠期を終わった僕がどれだけ新しい生活に対してゆくことができるか、あるいはある予期をもって進められる生活が、その予期を思ったとおりに成就し・・・ 有島武郎 「片信」
・・・私の予感していた不眠症が幾晩も私を苦しめたことは言うまでもない。 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・ 行一は不眠症になった。それが研究所での実験の一頓挫と同時に来た。まだ若く研究に劫の経ない行一は、その性質にも似ず、首尾不首尾の波に支配されるのだ。夜、寝つけない頭のなかで、信子がきっと取返しがつかなくなる思いに苦しんだ。それに屈服する・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・吉田はいつか不眠症ということについて、それの原因は結局患者が眠ることを欲しないのだという学説があることを人に聞かされていた。吉田はその話を聞いてから自分の睡むれないときには何か自分に睡むるのを欲しない気持がありはしないかと思って一夜それを検・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ 不眠症は、そのころから、芽ばえていたように覚えています。私のすぐ上の姉は、私と仲がよかった。私、小学四、五年のころ、姉は女学校、夏と冬と、年に二回の休暇にて帰省のとき、姉の友人、萱野さんという眼鏡かけて小柄、中肉の女学生が、よく姉につ・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・たしか、不眠症で困るからという理由であったかと思う。当時U公園にS軒付属のホテルがあったので、そこならば市中よりはいくらか閑静でいいだろうと思ってそのことを知らせてやったら、さっそく引き移って来て、幸いに存外気に入ったらしい様子であった。・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
出典:青空文庫