・・・ わたくしは人に道をきく煩いもなく、構内の水溜りをまたぎまたぎ灯の下をくぐると、家と亜鉛の羽目とに挟まれた三尺幅くらいの路地で、右手はすぐ行止りであるが、左手の方に行くこと十歩ならずして、幅一、二間もあろうかと思われる溝にかけた橋の上に・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・この橋の上に杖を停めて見ると、亜鉛葺の汚い二階建の人家が、両岸から濁水をさしばさみ、その窓々から襤褸きれを翻しながら幾町となく立ちつづいている。その間に勾配の急な木造の小橋がいくつとなくかかっている光景は、昭和の今日に至っても、明治のむかし・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・ 道路は市中の昭和道路などよりも一層ひろいように思われ、両側には歩道が設けられていたが、ところどころ会社らしいセメント造の建物と亜鉛板で囲った小工場が散在しているばかりで、人家もなく、人通りもない。道の左右にひろがっている空地は道路より・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・その穴には、亜鉛化軟膏に似たセメントが填められる。 だが、未だ重要なることはなかったか? それは、飲料水タンクを修理することだ。 若し、彼女が、長い航海をしようとでも考えるなら、終いには、船員たちは塩水を飲まなければならない。・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・この鳥籠というのは動物園などにあるような土地へ据えるもので、直径が五尺ばかり高さが一丈ばかり、それは金網にかこまれて亜鉛の屋根のついた、円錐形のものである。それを病室のガラス障子の外に据えて数羽の小鳥を入れて見た。その鳥はキンパラという鳥の・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ 烏の義勇艦隊は、その雲に圧しつけられて、しかたなくちょっとの間、亜鉛の板をひろげたような雪の田圃のうえに横にならんで仮泊ということをやりました。 どの艦もすこしも動きません。 まっ黒くなめらかな烏の大尉、若い艦隊長もしゃんと立・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
・・・みんな六つの瀬戸もののエボレットを飾り、てっぺんにはりがねの槍をつけた亜鉛のしゃっぽをかぶって、片脚でひょいひょいやって行くのです。そしていかにも恭一をばかにしたように、じろじろ横めでみて通りすぎます。 うなりもだんだん高くなって、いま・・・ 宮沢賢治 「月夜のでんしんばしら」
・・・丁度土曜日なので、花房は泊り掛けに父の家へ来て、診察室の西南に新しく建て増した亜鉛葺の調剤室と、その向うに古い棗の木の下に建ててある同じ亜鉛葺の車小屋との間の一坪ばかりの土地に、その年沢山実のなった錦茘支の蔓の枯れているのをむしっていた。・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫