・・・同じ町内の交誼で椿岳は扇面亭の主人とはいたって心易く交際っていて、こういう便宜があったにもかかわらず、かつて一度も書画会を開いた事がなかった。 尤も椿岳は富有の商家の旦那であって、画師の名を売る必要はなかったのだ。が、その頃に限らず富が・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・然りと雖も相互に於ける身分の貴賤、貧富の隔壁を超越仕り真に朋友としての交誼を親密ならしめ、しかも起居の礼を失わず談話の節を紊さず、質素を旨とし驕奢を排し、飲食もまた度に適して主客共に清雅の和楽を尽すものは、じつに茶道に如くはなかるべしと被存・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・博文館は既に頃日、同館とは殆三十年間交誼のある巌谷小波先生に対してさえ、版権侵害の訴訟を提起した実例がある。僕は斯くの如き貪濁なる商人と事を争う勇気がない。 僕は既に貪濁シャイロックの如き書商に銭を与えた。同時に又、翻訳の露西亜小説カラ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・当時、その師父等と交誼のあった日本の君子等は、勿論知識と信仰とに呼醒されたこともあったに違いないが、純粋にその渇仰のみによってそうだったのだろうか。日本に於ける基督教布教史は当時乱世の有様に深く鋭く人生の疑問も抱いた敏感な上流の若い貴公子、・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・ 斯くてバルザックは一八五〇年、ロシアのウクライナで二十年来交誼のあったハンスカ夫人と結婚し、パリに帰ったが、既にウクライナで病んでいた心臓病が重って、八月十八日、五十一歳の多岐にして矛盾に満ち、その矛盾において十九世紀初頭のフラン・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・生活の楽しさ、世界のひろさ、又その近さ、交誼の平安。それらの感情とは或は全然反対の不安、期待、好奇心を刺戟されることのラジオのニュース価値は増大して来ているのを見のがせないところに、深刻な今日の生活と文化との問題があると思う。 日本全国・・・ 宮本百合子 「「ラジオ黄金時代」の底潮」
・・・昨年彼新聞が六千号を刊するに至ったとき、主筆が我文を請われて、予は交誼上これに応ぜねばならぬことになったので、乃ち我をして九州の富人たらしめばという一篇を草して贈った。その時新聞社の一記者は我文に書後のようなものを添えて読者に紹介せられた。・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・表面上には交誼を続けて薄情のそしりを避けるなどは、私には到底できないことであった。私は徹底を要求するために、態度の不純に堪え得ないがために、ついに彼らを捨てた。――それを何ゆえに苦しむのか。 われわれのように小さい峠を乗り超えて来たもの・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫