・・・それがためにせっかくわざわざ出かけて来た自分自身は言わば行李の中にでも押しこめられたような形になり、結局案内記や話した人が湯にはいったり見物したり享楽したりすると同じような事になる、こういうふうになりたがる恐れがある。もちろんこれは案内書や・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・アメリカ人やドイツ人には到底理解されないものが東洋日本の大衆には理解され享楽されている例はいくらでもある。将来もしもここで言うような連句的な前衛映画が培養され発育しうる土地があるとすれば、それはおそらくわが日本のほかにはないであろうと思われ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・金が夢のように費いはたされて、彼らが零落の淵に沈む前に、そうしたこの町相当の享楽時代があった。道太の見たのはおそらくその末期でしかなかったが、彼女はその時代を知っていた。 下へおりていくと、お絹が流しの方にいた。白い襦袢に白い腰巻をして・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・だからこれに対して享楽の境に達するという意味は、文芸家のあらわした意識の連続に随伴すると云う事になります。だから我々の意識の連続が、文芸家の意識の連続とある度まで一致しなければ、享楽と云う事は行われるはずがありません。いわゆる還元的感化とは・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・甚だしきは、かつてニイチェズムの名が、本能主義や享楽主義のシノニムとして流行した。それからしてジャーナリスト等は、三角関係の恋愛や情死者等を揶揄してニイチェストと呼んだ。 何故にニイチェは、かくも甚だしく日本で理解されないだらうか。前に・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・元来食事はただ営養をとる為のものでなく又一種の享楽である。享楽と云うよりは欠くべからざる精神爽快剤である。労働に疲れ種々の患難に包まれて意気銷沈した時には或は小さな歌謡を口吟む、談笑する音楽を聴く観劇や小遠足にも出ることが大へん効果あるよう・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・その感じを更に強め享楽するために、私は机だの小屏風だのを持ち出して、薄暗い隅に一層暗い囲いを拵えた。すっかり囲って狭い一方だけが開いている。そこが洞の出入口だ。私は一人の母で小さい息子とそこに隠れている。何から?――シッ! そんな大きい声を・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・ 抑々、ソヴェト同盟の演劇や映画は、これまでだって唯の一度も、資本主義国の商業主義が企業として利潤のために、金のあるもののための享楽道具としてつかわれたことはなかった。 経営は国家管理の下にされている。芝居の上演目録は詮衡機関にかけ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・「享楽人」を単に「享楽する人」、「味わう人」の意に解するならば、人間は総じて何ほどかずつは享楽人である。が、特に一つの類型として認められる享楽人は、一定の特性を持ったものでなくてはならない。その特性は、第一に「享楽」すなわち「味わうこと・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
・・・哲学者はこの世界が元子の離合集散に過ぎないこと、現世の享楽の前には何の恐るべきものもないことなどを答える。パウロはますます熱して永生の存在を立証する彼自身の体験について語り始める。物見高いアテネ人は――「ただ新しきことを告げあるいは聞くこと・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫