・・・そして日は暮れかかっているが、この他国の町は早や自分を拒んでいる。―― それが現実であるかのような暗愁が彼の心を翳っていった。またそんな記憶がかつての自分にあったような、一種訝かしい甘美な気持が堯を切なくした。 何ゆえそんな空想が起・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・どこかほんとうの田舎じみた道の感じであった。 ――自分は変なところを歩いているようだ。どこか他国を歩いている感じだ。――街を歩いていて不図そんな気持に捕らえられることがある。これからいつもの市中へ出てゆく自分だとは、ちょっと思えないよう・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・母はこの子を連れて家々の門に立てば、貰い物多く、ここの人の慈悲深きは他国にて見ざりしほどなれば、子のために行末よしやと思いはかりけん、次の年の春、母は子を残していずれにか影を隠したり。太宰府訪でし人帰りきての話に、かの女乞食に肖たるが襤褸着・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・しかし一方はわが子で目の前に見、他方は他国でうわさに聞くのみ。情緒の上には活々とした愛と動機力は無論幼児の手袋を買ってやる方にはたらいている。客観的事実の軽重にしたがって、零細な金を義捐してもその役立つ反応はわからない。一方は子どものいたい・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・かくして過ぎなば「結局この国他国に破られて亡国となるべき也」これが日蓮の憂国であった。それ故に国家を安んぜんと欲せば正法を樹立しなければならぬ。これが彼の『立正安国論』の依拠である。 国内に天変地災のしきりに起こるのは、正法乱れて、王法・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・姉は島原妹は他国 桜花かや散りぢりに 真鍋博士の夫人は遺言して「自分の骨は埋めずに夫の身の側に置いて下さい」といわれたときく。が博士もまた先ごろ亡くなられた。今は二人の骨は一緒に埋められて、一つの墓石となられたであろう。・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・つるは、遠い、他国に嫁いだ。そのことは、ずっと、あとで聞いた。 私が小学校二、三年のころ、お盆のときに、つるが、私の家へ、いちど来た。すっかり他人になっていた。色の白い、小さい男の子を連れて来ていた。台所の炉傍に、その男の子とふたり並ん・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・それで郷里に居た時には少しも珍しくもなんともなかったものが、郷里を離れて他国に移り住んでからはかえって最も珍しくなつかしいものになる。そういう例は色々ある中にも最も手近なところで若干の食物が数えられる。その一つは寒竹の筍である。 高知近・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・世界では奨励時代はとうの昔に過ぎ去ってしまっているのではないか。他国では科学がとうの昔に政治の肉となり血となって活動しているのに、日本では科学が温室の蘭かなんぞのように珍重され鑑賞されているのでは全く心細い次第であろう。 その国の最高の・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・交通の便利な今のわれわれにはちょっと想像し難いほどの長い留守を明けたものであるが、若い時から半分以上は他国を奔走してばかりいた父には五年くらいの留守は何でもないことであり、留守を守る祖母や母も当り前の事と思っていたものらしい。当時の土佐と熊・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
出典:青空文庫