・・・僕はこの商標に人工の翼を手よりにした古代の希臘人を思い出した。彼は空中に舞い上った揚句、太陽の光に翼を焼かれ、とうとう海中に溺死していた。マドリッドへ、リオへ、サマルカンドへ、――僕はこう云う僕の夢を嘲笑わない訣には行かなかった。同時に又復・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・父は冷えたわが子を素肌に押し当て、聞き覚えのおぼつかなき人工呼吸を必死と試みた。少しもしるしはない。見込みのあるものやら無いものやら、ただわくわくするのみである。こういううち、医者はどうして来ないかと叫ぶ。あおむけに寝かして心臓音を聞いてみ・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・もっとも鏡花のお化けは本物のお化けであったが、武田さんのお化けは人工のお化けであった。だから、つまらないと言う人もあったが、しかし、現実と格闘したあげく苦しまぎれのお化けを出さねばならなかったところに、永年築き上げて来たリアリズムから脱け出・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・ 浅間の麓に添うた傾斜の地勢は、あだかも人工で掘割られたように、小諸城址の附近で幾つかの深い谷を成している。谷の一つの浅い部分は耕されて旧士族地を取囲いているが、その桑畠や竹薮を背にしたところに桜井先生の住居があった。先生はエナアゼチッ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・こういう芸術体験上の人工の極致を知っているのは、おそらく君でしょう。それゆえ、あなたは表情さえ表現しようとする、当節誇るべき唯一のことと愚按いたします。あなたが御病気にもかかわらず酒をのみ煙草を吸っていると聞きました。それであなたは朝や夕べ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・謂わば、人工の秩序への努力だ。だから、どうしても、秩序とは、反自然的な企画なんだが、それでも、人は秩序に拠らなければ、生き伸びて行く事が出来なくなっている、というんだがね。君が時代に素直で、勉強を放擲しようとする気持もわかるけれど、秩序の必・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・このような小説があったなら、千年万年たっても、生きて居る。人工の極致と私は呼ぶ。 鋭い眼をした主人公が、銀座へ出て片手あげて円タクを呼びとめるところから話がはじまり、しかもその主人公は高まいなる理想を持ち、その理想ゆえに艱難辛苦をつぶさ・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・きょう以後「人工の美」という言葉をこそ使うがよい。いかに天衣なりといえども、無縫ならば汚くて見られぬ。 附言する。かかる全き放心の後に来る、もの凄じきアンニュイを君知るや否や。世渡りの秘訣 節度を保つこと。節度を保つこと・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・またその試験というのが人工的に無闇に程度を高く捻じり上げたもので、それに手の届くように鞭撻された受験者はやっと数時間だけは持ちこたえていても、後ではすっかり忘れて再び取りかえす事はない。それを忘れてしまえば厄介な記憶の訓練の効果は消えてしま・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・この脚下の一と山だけのものをでも、人工で築き上げるのは大変である。一つ一つの石塊を切り出し、運搬し、そうしてかつぎ上げるのは容易でない。しかし噴火口から流れ出した熔岩は、重力という「鬼」の力で押されて山腹を下り、その余力のほんのわずかな剰余・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
出典:青空文庫