・・・ 夕暮近いので、街はひとしおの雑踏を極め、鉄道馬車の往来、人車の東西に駈けぬける車輪の音、途を急ぐ人足の響きなど、あたりは騒然紛然としていた。この騒がしい場所の騒がしい時にかの男は悠然と尺八を吹いていたのである。それであるから、自分の目・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・その食堂には、大工や土方人足などがお客であって、角帽かぶった大学生はまったく珍らしかった様子で、この店だけは、いつ来ても大丈夫、六人の女中みんなが、あれこれとかまって呉れた。人からあなどりを受け、ぺしゃんこに踏みにじられ、ほうり出されたとき・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・頭の悪い人足ののろい人がずっとあとからおくれて来てわけもなくそのだいじな宝物を拾って行く場合がある。 頭のいい人は、言わば富士のすそ野まで来て、そこから頂上をながめただけで、それで富士の全体をのみ込んで東京へ引き返すという心配がある。富・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
・・・吾々仲間でその支柱の仕方が果してどれだけ有効であろうかといったようなことを話し合っていたら、通りかかった人足風の二人連れが「アア、それですか、僕達がやったんですよ」と云い捨てて通り抜けた。責任を明らかにしたのである。 この横町の奥にちょ・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・ ハース氏は、イタリアの人足はずるくて、うっかりしていると荷物なんかさらわれるからと言って、先に桟橋へおりた自分らに見張り番をさせておいて船からたくさんのカバンや行李をおろさせた。税関の検査は簡単に済んだ。自分がペンク氏から借りて持って・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・韋駄天を叱する勢いよく松が端に馳け付くれば旅立つ人見送る人人足船頭ののゝしる声々。車の音。端艇涯をはなるれば水棹のしずく屋根板にはら/\と音する。舷のすれあう音ようやく止んで船は中流に出でたり。水害の名残棒堤にしるく砂利に埋るゝ蘆もあわれな・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・小屋のすみに石を集めた竈を築いて、ここで木こりの人足が飯をたいてくれる。一日の仕事から帰って来て、小屋から立ちのぼる青い煙を岨道から見上げるのは愉快であった。こんな小屋でも宅へ帰ったような心持ちになる。夜になると天井の丸太か・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・ しかしまた時として向こう河岸にもやっている荷物船から三菱の倉庫へ荷上げをしている人足の機械的に動くのを見たり、船頭の女房が艫で菜の葉を刻んだり洗ったりするのを見たり、あるいは若芽を吹いた柳の風にゆらぐのを見たりしていると、丸善だとか三・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・ それでまア、本郷の山本まで引取るなら、旗が五本に人足が十三人……山本と申すのは、晴二郎の姉の縁先きなんでして、その時の棺側が、礼帽の上等兵が四人、士官が中尉がお一人に少尉がお一人……尤も連隊から一里のあいだは、その外に旗が三本、蓮花が・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・荒布の前掛を締めた荷揚の人足が水に臨んだ倉の戸口に蹲踞んで凉んでいると、往来際には荷車の馬が鬣を垂して眼を細くし、蠅の群れを追払う元気もないようにじっとしている。運送屋の広い間口の店先には帳場格子と金庫の間に若い者が算盤を弾いていたが人の出・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫