・・・で赤裸の心を出さにゃならぬワ、昨日今日知りあった仲ではないに……第一の精霊ほんとうにそうじゃ、春さきのあったかさに老いた心の中に一寸若い心が芽ぐむと思えば、白髪のそよぎと、かおのしわがすぐ枯らして仕舞うワ。ほんとに白状しよう、わきを向い・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・ はてからはてまで、灰色な雲の閉じた空の下で、散りかかったダリアだの色のさめた紫陽花が、ざわざわ、ざわざわとゆすれて居るのを見て居ると、一人手に気が滅入って仕舞う。 影の多い書斎で、わびしい気持で、古雑誌などを繰り返して居る私は、ほ・・・ 宮本百合子 「雨の日」
・・・けれども、笑うだけ笑って仕舞うと、彼女は、足をぶらぶら振るのもやめ困った顔で沈んで仕舞った。「もうじき大晦日だのにね。――どうするおつもり?」 彼女は、歎息まじりに訴えた。「今其那に女中なんかないのよ。貴方男だから好きになすった・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・のようになったロシアの子供等が、往来に――恐らくこれも飢から――斃死した駄馬の周囲に蒼蠅のように群がって、我勝ちに屍肉を奪い合っている写真を見たら、恐らく一目で、反感の鬼や独善的な冷淡さは、影を潜めて仕舞うだろう。到底、知らない振は仕切れな・・・ 宮本百合子 「アワァビット」
・・・ 一冊本を読めば大抵の時は何かもうすっかり心の底まで感激して仕舞う様な事が有って、その度びに自分を情なく思ったり――勿論情なく思いきりでへこたれはしませんけれ共――まあまあと思って見たりします。 世の中の出来事のすべてに対して左様で・・・ 宮本百合子 「動かされないと云う事」
・・・ お父っさんと、恭二の働きが、皆お前に吸われて仕舞う。 病気で居るのに何もわざわざこんな事を聞かせたくはないけれ共、一つ家の中に居れば、そうお人をよくしてばかりも居られないからねえ、 ほんとうに、どうかしなけりゃあ、ならないよ。・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・人として、自分の生活内容をあらゆる方面に伸展させて行こうとする願望と一緒に、同じ心の中から、この歩幅を縮めさせ、左顧右眄させて、終に或る処まで、見越をつけさせて仕舞うような何かの動機があるのである。 四 今・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・生みの力と絶えず争いつづける死の偉大な意味、その心などは人間にはきっぱり分りきって仕舞うものではあるまい。少くとも今の私には死の意味をさとる――その気持を思う事は出来ないにきまって居る。 出来ないと知りつつも私の今の気持ではそれを思わず・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ 今日の女優には、数百の見物の眼と、与えられた役割との間に迷って、兎角あまり素晴らしくもない素の自分を露出させて仕舞う芸術上の未熟が付き纏っている。女形には、芸の上に於て、其那腕のなさはない代り、どうしても、エキスプレッションが、女形の・・・ 宮本百合子 「気むずかしやの見物」
・・・可愛がって、自分の子を殺して仕舞う女はこんなんだろうと思うと、只無智と云う事のみが産む種々雑多のさい害のあまり大きいのを怖ろしがらずには居られなかった。 十二三日目になった時、様子を見に行った主婦は、気味悪く引きしまった顔になって帰って・・・ 宮本百合子 「黒馬車」
出典:青空文庫