・・・(この餅拵えるのは仙台領嘉吉はもうそっちを考えるのをやめて話しかけた。おみちはけれども気の無さそうに返事してまだおもての音を気にしていた。(今日はちょっとお訪門口で若い水々しい声が云った。嘉吉は用があったからこっちへ廻れといった風で・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・十一時四十分上野発仙台行の列車で大して混んでいず、もっと後ろに沢山ゆとりはあるのだ。婆さんの連れは然し、「戸に近い方がいいものね、ばあや、洋傘置いちゃうといいわ、いそいでお座りよ。上へのっかっちゃってさ」 窓から覗き込んで指図する。・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・成田梅子は、仙台に女子自由党を組織し、男女同権という声は、稚拙ながら新興の意気をもって、日本全国に響いたのであった。 ところが、一八八九年憲法が発布されると同時に、人民の政治的な自由は、それによって基礎づけられてより活溌に展開されるべき・・・ 宮本百合子 「現実に立って」
・・・ 原あさを 仙台かどこかの豪家の娘 母一人、娘一人 歌をよむ。 ひどく小さい、掌にでものりそうな女 男なしに生きられぬ女 さみしさから、下らない男のところへでも写真などやる。よい人は――男は――そ・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ ○二十五日夜、仙台よりの汽車中にて、 ○彼女は二十三四になったかならないである。どっちかと云えば、いい服装をして居るけれども、実際の生活程度はそんなに高くないらしい点がその態度の中にチョイチョイとあらわれる。東京に長く居た地方・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
・・・岡山には女子親睦会という政治結社が出来てあったし、仙台には女子自由党というのが組織されていた。その指導者は成田梅子という人であった。 これと略同じ時代、一方に婦人の政治活動が盛んであったと共に、女子教育もアメリカの宣教師たちの指導によっ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・然るところその伽羅に本木と末木との二つありて、はるばる仙台より差下され候伊達権中納言殿の役人ぜひとも本木の方を取らんとし、某も同じ本木に望を掛け互にせり合い、次第に値段をつけ上げ候。 その時横田申候は、たとい主命なりとも、香木は無用の翫・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・然るところその伽羅に本木と末木との二つありて、はるばる仙台より差下され候伊達権中納言殿の役人ぜひとも本木の方を取らんとし、某も同じ本木に望を掛け、互にせり合い、次第に値段をつけ上げ候。 その時相役申候は、たとい主命なりとも、香木は無用の・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫