・・・吾妻橋から川下ならば、駒形、並木、蔵前、代地、柳橋、あるいは多田の薬師前、うめ堀、横網の川岸――どこでもよい。これらの町々を通る人の耳には、日をうけた土蔵の白壁と白壁との間から、格子戸づくりの薄暗い家と家との間から、あるいは銀茶色の芽をふい・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・これはもちろん火がつくところから自然と連想を生じたのであろう。 一三 剥製の雉 僕の家へ来る人々の中に「お市さん」という人があった。これは代地かどこかにいた柳派の「五りん」のお上さんだった。僕はこの「お市さん」にいろ・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・六金さんのほかにも、柳橋のが三人、代地の待合の女将が一人来ていたが、皆四十を越した人たちばかりで、それに小川の旦那や中洲の大将などの御新造や御隠居が六人ばかり、男客は、宇治紫暁と云う、腰の曲った一中の師匠と、素人の旦那衆が七八人、その中の三・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・椿岳の住っていた伝法院の隣地は取上げられて代地を下附されたが、代地が気に入らなくて俺のいる所がなくなってしまったと苦情をいった。伝法院の唯我教信が調戯半分に「淡島椿岳だから寧そ淡島堂に住ったらどうだ?」というと、洒落気と茶番気タップリの椿岳・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 土曜といわず日曜といわず学校の帰り掛けに書物の包を抱えたまま舟へ飛乗ってしまうのでわれわれは蔵前の水門、本所の百本杭、代地の料理屋の桟橋、橋場の別荘の石垣、あるいはまた小松島、鐘ヶ淵、綾瀬川なぞの蘆の茂りの蔭に舟をつないで、代数や幾何・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・ 一歳浅草代地河岸に仮住居せし頃の事なり。築地より電車に乗り茅場町へ来かかる折から赫々たる炎天俄にかきくもるよと見る間もなく夕立襲い来りぬ。人形町を過ぎやがて両国に来れば大川の面は望湖楼下にあらねど水天の如し。いつもの日和下駄覆きしかど・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・亀蔵は神田久右衛門町代地の仲間口入宿富士屋治三郎が入れた男で、二十歳になる。下請宿は若狭屋亀吉である。表小使亀蔵が部屋を改めて見れば、山本の外四人の金部屋役人に、それぞれ宛てた封書があって、中は皆白紙である。 察するに亀蔵は、早晩泊番の・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・清武の家は隣にいた弓削という人が住まうことになって、安井家は飫肥の加茂に代地をもらった。 仲平は三十五のとき、藩主の供をして再び江戸に出て、翌年帰った。これがお佐代さんがやや長い留守に空閨を守ったはじめである。 滄洲翁は中風で、六十・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫