・・・ 砂山の上に、仰向けになって臥ながら、彼は、笛を吹いてみました。 吹けば吹くほど、いい音色がでて、不思議ないろいろな幻が目に見えたのであります。 二郎はまた、起き上がりました。 そして、笛の穴をのぞきながら、「この穴の中に、・・・ 小川未明 「赤い船のお客」
・・・ 海のように、青い、青い空を、旅人はぼんやりと仰向けになってながめていました。小さな白い雲、ややそれよりも大きい雲、ほんとうに大きな白い雲、いくつかの雲が鬼ごっこでもしているように、追いつ、追われつしていました。 旅人は、このと・・・ 小川未明 「曠野」
・・・ ごろりとタイルの上に仰向けに寝そべっていたが、私の顔を見ると、やあ、と妙に威勢のある声とともに立ち上った。 そして、私のあとから湯槽へはいって来て、「ひょっとしたら、ここへ来やはるやろ思てました」 と、ひどく真面目な表情で・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・逃げ足が遅いだけならまだしも、わずかな紙の重みの下で、あたかも梁に押えられたように、仰向けになったりして藻掻かなければならないのだった。私には彼らを殺す意志がなかった。それでそんなとき――ことに食事のときなどは、彼らの足弱がかえって迷惑にな・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ なぜなぜと仰向けに寝返りして善平はなお笑顔を洩らす。それだっても、さんざん私をいやがらせておいて、と光代は美しき目に少し角を見せていう。おれが何をいやがらせるものか。お前が独りでいやがっているのだ。それはもう綱雄は実にこの上もない男さ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 時田は朱筆を投げやって仰向けになりながら、『君先だって頼んで置いたのはできたかね。』 江藤は火鉢のそばに座って勝手に茶を飲み、とぼけた顔をして、『なんだッたかしら。』『そら手本サ。』『すっかり忘れていた、失敬失敬、・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・と自分は少女を突飛ばすと、少女は仰向けに倒れかかったので、自分は思わずアッと叫けんでこれを支えようとした時、覚れば夢であって、自分は昼飯後教員室の椅子に凭れたまま転寝をしていたのであった。 拾った金の穴を埋めんと悶いて又夢に金銭を拾う。・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・龍介は室の真中に仰向けにひっくり返った。低い天井板が飴色にすすけてところどころ煤が垂れていた。 龍介は虚ろな気持で天井を見ながら「ばか」声を出してひくく言ってみた。「ばか!」少し大きくした。そしてその余韻をきいてみた。するときゅうに・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・ キクちゃんも仰向けに、私と直角に寝て、そうしてまつげの長い大きい眼を、しきりにパチパチさせて眠りそうもない。 私は黙って本箱の上の、蝋燭の焔を見た。焔は生き物のように、伸びたりちぢんだりして、うごいている。見ているうちに、私は、ふ・・・ 太宰治 「朝」
・・・しばらくして顔を挙げ、笑いをこらえているように、下唇を噛んで、ぽっと湯上りくらいに赤らんでいる顔を仰向けて、乱れた髪を掻きあげ、それから、急にまじめになって私のほうにまっすぐに向き直り、「安心してけせ。わたしも、馬鹿でごいせん。来たら来・・・ 太宰治 「嘘」
出典:青空文庫