・・・ 二「伸子」が書かれたのは一九二四年―六年のことであった。続篇を書きたいと思いはじめた三〇年のはじめから、断片的な試みがされたが、当時の条件がそれを困難にした。やっと一九四六年の初冬から、はっきり「伸子」に・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・「伸子」の或る部分に。「播州平野」の或る部分に。それぞれ、日本の歴史の波が、この農村の生活そのものをも変化させているその姿において。―― わたしは、いつか、この「貧しき人々の群」の発展したものとして農村の小説が書いてみたい。しんから、ず・・・ 宮本百合子 「作者の言葉(『貧しき人々の群』)」
・・・寿江子の靴下プランタンへ買いにゆくやぶれたのをはいて 伸子 マッフラー止め二ケ 手帖 スエ子靴下 マデレーヌのうしろの店でトーモロコシを買う8F 四本で電車でかえる。日没美しいcaf を一・・・ 宮本百合子 「「道標」創作メモ」
「道標」は、「伸子」から出発している「二つの庭」の続篇として、一九四七年の秋から『展望』誌上にかきはじめた。第一部、第二部、第三部とずっと『展望』にのせつづけて一九五〇年十月二十五日に、ひとまず三つの部分をおわった。 一・・・ 宮本百合子 「「道標」を書き終えて」
・・・長篇「伸子」の第一部「聴き分けられぬ跫音」を書き、『改造』へのせた。一九二五年「伸子」を三、四度にくぎって『改造』へ連載。他に「吠える」「長崎紀行」「白い翼」などを書いた。一九二六年「伸子」完結。「一・・・ 宮本百合子 「年譜」
A ――佃 一郎 自分―― 伸子 父 ――佐々省三 母――多計代 岩本――中西ちゑ子 弟――和一郎 南 ――高崎直子 弟――保 和田――安川ただ/咲森田、岩本散歩 或日曜後藤避暑の話、ミス ・・・ 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(一)」
長篇「伸子」を書いたのは今から十年ばかり前のことで、完成までに三年位の時間がかかりました。『改造』へ一年に四度位の割で四五十枚から二百枚位まで時々載せてゆき、単行本にする時に全篇すっかり手を入れて大部ちぢめました。 当・・・ 宮本百合子 「「伸子」について」
一、伸子は 段々ひきつけられた、p.9「プロレタリアートは時代の先端を壮烈な情熱をもって進んでいる、しかも我々の前には過渡期の影が尚巨体をよこたえている」 一章一章が、青年らしい丹念さでまとめられている。・・・ 宮本百合子 「「敗北の文学」について」
・・・「歌声よ、おこれ」などの民主主義文学についての文学評論のほか、「播州平野」「風知草」などにこの作家にとって独特であった解放のよろこびと戦争への抗議を描き出した。「伸子」の続篇として、一九二七年以後の二十年間の社会思想史の素描ともなる「二つの・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・「赤と黒」もよみ、レマルクの「凱旋門」もよみ、「風とともに去りぬ」もよんでいるとする。同時に「たけくらべ」「にごりえ」をよんだことがあるし、「あぶら照り」「妻の座」も読んでいるとする。「伸子」を読んでいるかもしれない。そしてこれらのすべての・・・ 宮本百合子 「文学と生活」
出典:青空文庫