・・・桔梗屋のお内儀に教えてもらった文子の住居を、芝の白金三光町に探しあてたのは、その日の夜更け。文子は女中と二人暮しでもう寝ていましたが、表の戸を敲く音を旦那だと思って明けたところ、まるで乞食同然の姿をした男がしょぼんと立っていたので、びっくり・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・そしてその娘のことについてはそれきりで吉田はこちらの田舎の住居の方へ来てしまったのだったが、それからしばらくして吉田の母が弟の家へ行って来たときの話に、吉田は突然その娘の母親が死んでしまったことを聞いた。それはそのお婆さんがある日上がり框か・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ 住居は愛宕下町の狭い路次で、両側に長屋が立っています中のその一軒でした。長屋は両側とも六軒ずつ仕切ってありましたが、私の住んでいたのは一番奥で、すぐ前には大工の夫婦者が住んでいたのでございます。 長屋の者は大通りに住む方とは違いま・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・かかる人間はアトム的な個人の人格と人格とが、後から相互の黙契によって結びつき、社会をつくるのでなく、当初から相互融入的であり、その住居、衣食、言語風習まで徹頭徹尾共同生活態に依属しているところの、アトム的ならぬ共同人間である人倫の事実は外に・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・昼は日の光もささせ給はず、心細かるべき住居なり」 こうした荒寥の明け暮れであったのだ。 承久の変の順徳上皇の流され給うた佐渡へ、その順逆の顛倒に憤って立った日蓮が、同じ北条氏によって配流されるというのも運命であった。「彼の島の者・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・彼らは、たいてい栄養の不足や、過度の労働や、汚穢なる住居や、有毒なる空気や、激甚なる寒暑や、さては精神過多等の不自然な原因から誘致した病気のために、その天寿の半ばにも達せずして、紛々として死に失せるのである。ひとり病気のみでない。彼らは、餓・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 私たち親子のものは、遠からず今の住居を見捨てようとしている時であった。こんなにみんな大きくなって、めいめい一部屋ずつを要求するほど一人前に近い心持ちを抱くようになってみると、何かにつけて今の住居は狭苦しかった。私は二階の二部屋を次郎と・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・それから四五年してここの主人が亡くなって、小母さんはこちらへ住居をきめることになった。別れの時には藤さんも小母さんも泣いた。藤さんはその後いつまでも小母さん小母さんと恋しがって、今日まで月に一二度、手紙を欠かしたことはない。藤さんの家は今佐・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 途中には生けがきに取りめぐらされて白い門のある小さな住居のあるのを見ましたが、戸は開いたままになって快く二人のはいるに任せてありました。おかあさんは門をはいって、芍薬と耘斗葉の園に行きました。見ると窓にはみんなカーテンが引いてありまし・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・母は早くなくなり、父と私と二人きりで長屋住居をしていて、屋台のほうも父と二人でやっていましたのですが、いまのあの人がときどき屋台に立ち寄って、私はそのうちに父をあざむいて、あの人と、よそで逢うようになりまして、坊やがおなかに出来ましたので、・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
出典:青空文庫