・・・仲間、――馬場が彼の親類筋にあたる佐竹六郎という東京美術学校の生徒をまず私に紹介して呉れる段取りとなった。その日、私は馬場との約束どおり、午後の四時頃、上野公園の菊ちゃんの甘酒屋を訪れたのであるが、馬場は紺飛白の単衣に小倉の袴という維新風俗・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・吾妻橋を渡ると久しく麦酒製造会社の庭園になっていた旧佐竹氏の浩養園がある。しかしこの名園は災禍の未だ起らざる以前既に荒廃して殆その跡を留めていなかった。枕橋のほとりなる水戸家の林泉は焦土と化した後、一時土砂石材の置場になっていたが、今や日な・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ 太鼓を叩く前座の坊主とは帰り道がちがうので、わたくしは毎夜下座の三味線をひく十六、七の娘――名は忘れてしまったが、立花家橘之助の弟子で、家は佐竹ッ原だという――いつもこの娘と連立って安宅蔵の通を一ツ目に出て、両国橋をわたり、和泉橋際で・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・ 其処は、佐竹さんの所有地で道灌山のすぐ傍にあたる所であったのだ。 それから後屡々私は弟達と遊びに行った。林の奥では彼の時の様に小鳥が囀り日は同じ様に黄金色に光って居る。 筑波山の天狗は何時まで生きて居るだろう。 私と叔父が・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・よく学校へ行くのをやめたり早退けしたりして上野の図書館へ行った。佐竹ヶ原の草の中へころがっていたりもした。昔の婆やが酒屋の裏にスダレを下げて賃仕事をしている、そこに一日いたこともある。一葉だの、ワイルドだのの影響があった。母が或る時土産・・・ 宮本百合子 「年譜」
出典:青空文庫