・・・エリ、エリ、ラマサバクタニ、――これを解けばわが神、わが神、何ぞ我を捨て給うや?……」 神父は思わず口をとざした。見ればまっ蒼になった女は下唇を噛んだなり、神父の顔を見つめている。しかもその眼に閃いているのは神聖な感動でも何でもない。た・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・日夜何ものとも知れず、わが耳に囁きて、如何ぞさばかりむくつけき夫のみ守れる。世には情ある男も少からぬものをと云う。しかもその声を聞く毎に、神魂たちまち恍惚として、恋慕の情自ら止め難し。さればとてまた、誰と契らんと願うにもあらず、ただ、わが身・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・「自然主義とは何ぞや? その中心はどこにありや?」かく我々が問を発する時、彼らのうち一人でも起ってそれに答えうる者があるか。否、彼らはいちように起って答えるに違いない、まったくべつべつな答を。 さらにこの混雑は彼らの間のみに止まらないの・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・そもそも詩人とは何ぞ。 便宜上私は、まず第三の問題についていおうと思う。最も手取早くいえば私は詩人という特殊なる人間の存在を否定する。詩を書く人を他の人が詩人と呼ぶのは差支ないが、その当人が自分は詩人であると思ってはいけない、いけないと・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・――小母さんは寺子屋時代から、小僧の父親とは手習傍輩で、そう毎々でもないが、時々は往来をする。何ぞの用で、小僧も使いに遣られて、煎餅も貰えば、小母さんの易をトる七星を刺繍した黒い幕を張った部屋も知っている、その往戻りから、フトこのかくれた小・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ 黙って見ている女房は、急にまたしめやかに、「だからさ、三ちゃん、玩弄物も着物も要らないから、お前さん、漁師でなく、何ぞ他の商売をするように心懸けておくんなさいよ。」という声もうるんでいた。 奴ははじめて口を開け、けろりと真顔で・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・留む 之子生涯快心の事 呉を亡ぼすの罪を正して西施を斬る 玉梓亡国の歌は残つて玉樹空し 美人の罪は麗花と同じ 紅鵑血は灑ぐ春城の雨 白蝶魂は寒し秋塚の風 死々生々業滅し難し 心々念々恨何ぞ窮まらん 憐れむべし房総佳山水 渾て・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・私はね、お前さんが親類付合いとお言いだったから、それからふと考えたんだが……お前さんだってどうせ貰わなきゃならないんだから、一人よさそうなのを世話して上げたら私たちが仲人というので、この後も何ぞにつけ相談対手にもなれようと思って、それで私は・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・そう思えば、老衰何ぞ怖るるに足らんや。しかし、顔のことに触れたついでに言えば、若いのか年寄りなのかわからぬような顔は、上乗の顔ではあるまい。それを思うと、私は鏡を見るたびに、やはり失望せずにはおられない。鏡の中の私の顔はまさにピコアゾーであ・・・ 織田作之助 「髪」
・・・「――こうッと。何ぞ良い考えはないもんかな」 お前はしきりに首をひねっていたが、間もなく、川那子メジシンの広告から全快写真の姿が消え、代って歴史上の英雄豪傑をはじめ、現代の政治家、実業家、文士、著名の俳優、芸者等、凡ゆる階級の代表的・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
出典:青空文庫