・・・一度打つたびに臭い煙が出て、胸が悪くなりそうなのを堪えて、そのくせそのを好きなででもあるように吸い込んだ。余り女が熱心なので、主人も吊り込まれて、熱心になって、女が六発打ってしまうと、直ぐに跡の六発の弾丸を込めて渡した。 夕方であったの・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・それは、人間を信ずるの余り、思わぬ災害に逢着する事実から、お互に、妄りに信ずべからずとさえ思うに至ったのである。 人間が、人間を信じてならないということは、正しいことだろうか。また、みだりに知らない人を信ずることができないという、それ等・・・ 小川未明 「人間否定か社会肯定か」
・・・ 五尺八寸、十三貫、すなわち痩せているせいで暑さに強い私は、裸で夜をすごすということは余りなく、どんなに暑くてもきちんと浴衣をきて、机の前に坐っているのだが、八月にはいって間もなくの夜明けには、もう浴衣では肌寒い。ひとびとが宵の寝苦しい・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・斯う云ったようなことを一時間余りもそれからそれと並べ立てられて、彼はすっかり参っていた処なので、もう解ったから早く帰って呉れと云わぬばかしの顔していた処なので、そこへ丁度好くそのお茶の小包が着いたので、それが気になって堪らぬと云った風をして・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・寝るには余り暗い考えが彼を苦しめるからでもあった。彼は悪い病気を女から得て来ていた。 ずっと以前彼はこんな夢を見たことがあった。 ――足が地脹れをしている。その上に、噛んだ歯がたのようなものが二列びついている。脹れはだんだんひどくな・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・すると母は僕の剣幕の余り鋭いので喫驚して僕の顔を見て居るばかり、一言も発しません。『サア理由を聞きましょう。怨霊が私に乗移って居るから気味が悪いというのでしょう。それは気味が悪いでしょうよ。私は怨霊の児ですもの。』と言い放ちました、見る・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・あの菅公の宇多上皇に対する恩顧の思い出はそれを示して余りあり、理想の愛人に合うことの悦びはいまさらいうまでもなく花は一時に開き鳥は歌うのである。青春未婚の男女であってこの幸福を求めて胸を躍らせない者はないであろう。またそれは与えられるのが常・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・何様も十分調べて置いてシツッコク文字論をするので講者は大に窘められたのでしたが、余り窘められたのでやがて昂然として難者に対って、「僕は読書ただ其の大略を領すれば足りるので、句読訓詁の事などはどうでもよいと思って居る」など互に鎬を削ったもので・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・国府津時代に書いたものは皆味の深いものばかりだが、然し余り長いものはもう書けなかった。エマルソンの評伝の稿を起したのも、彼処の寺だ。それから、『五縁』、『十夢』、大きな史劇の計画なぞを立てていたのも、彼処だ。この国府津時代に書きつけた、ノオ・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・寒さは余りひどくなかったが、単調な、広漠たる、あらゆるものの音を呑み込んでしまうような沈黙をなしている雪が、そこら一面に空虚と死との感じを広がらせている。いつも野らで為事をしている百姓の女房の曲った背中も、どこにも見えない。河に沿うて、河か・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
出典:青空文庫