・・・しかしこれを供えた白い手首は、野暮なレエスから出たらしい。勿論だ。意気なばかりが女でない。同時に芬と、媚かしい白粉の薫がした。 爺が居て気がつかなかったか。木魚を置いたわきに、三宝が据って、上に、ここがもし閻魔堂だと、女人を解いた生血と・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 山藤が紫に、椿が抱いた、群青の巌の聳えたのに、純白な石の扉の、まだ新しいのが、ひたと鎖されて、緋の椿の、落ちたのではない、優い花が幾組か祠に供えてあった。その花には届くが、低いのでも階子か、しかるべき壇がなくては、扉には触れられない。・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・緒に結んだ状に、小菊まじりに、俗に坊さん花というのを挿して供えたのが――あやめ草あしに結ばむ――「奥の細道」の趣があって、健なる神の、草鞋を飾る花たばと見ゆるまで、日に輝きつつも、何となく旅情を催させて、故郷なれば可懐しさも身に沁みる。・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 去ぬる……いやいや、いつの年も、盂蘭盆に墓地へ燈籠を供えて、心ばかり小さな燈を灯すのは、このあたりすべてかわりなく、親類一門、それぞれ知己の新仏へ志のやりとりをするから、十三日、迎火を焚く夜からは、寺々の卵塔は申すまでもない、野に山に・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・やると豆腐を買ってきまして、三日月様に豆腐を供える。後で聞いてみると「旦那さまのために三日月様に祈っておかぬと運が悪い」と申します。私は感謝していつでも六厘差し出します。それから七夕様がきますといつでも私のために七夕様に団子だの梨だの柿など・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・かわいい人形がそばにありますから、それを抱いたり、下にすわらせたり、またそれにものをいったり、おもちゃのお膳や、茶わんや、さらなどに、こしらえたごちそうを入れて、供えてやったりしていますと、けっしてさびしくもなんともなかったのであります。・・・ 小川未明 「なくなった人形」
・・・ 新所帯の仏壇とてもないので、仏の位牌は座敷の床の間へ飾って、白布をかけた小机の上に、蝋燭立てや香炉や花立てが供えられてある。お光はその前に坐って、影も薄そうなションボリした姿で、線香の煙の細々と立ち上るのをじっと眺めているところへ、若・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・恋以上のもののためには恋をも供えものとすることを互いに誓うことは恋をさらに高めることである。 肉体的耽溺を二人して避けるというようなことも、このより高きものによって慎しみ深くあろうとする努力である。道徳的、霊魂的向上はこうして恋愛のテー・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 祖国の安危のために、世界の平和のために、人道と文明のために、たちがたき恩愛をたって、自分の子を供えものにせねばならぬ。マリアはキリストを、乃木夫人は二人の息子を、この要求のために犠牲にしたのだ。初めに出発した生物的、本能的愛と比較する・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・そこには蕎麦や、飯が供えてあった。手洗鉢の氷は解けていなかった。 隣家を外から伺うと、人声一つせず、ひっそりと静まりかえっていた。たゞ、鶏がコツ/\餌を拾っているばかりだ。すべてがいつもと変っていなかった。でも彼は、反物が気にかゝって落・・・ 黒島伝治 「窃む女」
出典:青空文庫