・・・そこに天才の煩悶と、深い祈りがあるのであろうが、僕は俗人の凡才だから、その辺のことは正確に説明できない。とにかく、殿様は、自分の腕前に絶対の信頼を置く事は出来なかった。事実、名人の卓抜の腕前を持っていたのだが、信じる事が出来ずに狂った。そこ・・・ 太宰治 「水仙」
・・・私は、きっと俗人なのでございましょう。そのころの新進作家には、武者小路とか、志賀とか、それから谷崎潤一郎、菊池寛、芥川とか、たくさんございましたが、私は、その中では志賀直哉と菊池寛の短篇小説が好きで、そのことでもまた芹川さんに、思想が貧弱だ・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・つまり、ほんものの俗人ですね。 あとは皆、三鷹へ来てからの写真です。写真をとってくれる人も多くなって、右むけ、はい、左むけ、はい、ちょっと笑って、はい、という工合いにその人たちの命令のままにポーズを作ったのです。つまらない写真ばかりです・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・よっぽど、いい家庭のお嬢さんよりも、その、鮎の娘さんのほうが、はるかにいいのだ、本当の令嬢だ、とも思うのだけれども、嗚呼、やはり私は俗人なのかも知れぬ、そのような境遇の娘さんと、私の友人が結婚するというならば、私は、頑固に反対するのである。・・・ 太宰治 「令嬢アユ」
・・・しかるに偶然窓より強き風が吹き込みて球が横に外れたりとせよ。俗人の眼より見ればこの予言は外れたりと云う外なかるべし。しかし学者は初め不言裡に「かくのごとき風なき時は」という前提をなしいたるなり。この前提が実用上無謀ならざる事は数回同じ実験を・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・ かように、一方では遁世を勧めると同時に、また一方では俗人の処世の道を講釈しているのが面白い。これは矛盾でもなんでもない。ただ同じ事のちがった半面を云っているのであろう。 世間に立交わって人とつき合うときの心得を説いたものが案外に多・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・物質の観念が未開人にもあるのにエネルギーの考えが俗人に通ぜぬのはそのためではあるまいか。 こういいう風に考えれば物質その物もまた分らぬものである。物質諸般の性質を説明するには物質がすべて分子原子から成立していると考える事が必要なばかりで・・・ 寺田寅彦 「物質とエネルギー」
・・・階段を降り切って最下の欄干に倚って通りを眺めた時にはついに依然たる一個の俗人となり了ってしまった。案内者は平気な顔をして厨を御覧なさいという。厨は往来よりも下にある。今余が立ちつつある所よりまた五六段の階を下らねばならぬ。これは今案内をして・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ 木村項だけが炳として俗人の眸を焼くに至った変化につれて、木村項の周囲にある暗黒面は依然として、木村項の知られざる前と同じように人からその存在を忘れられるならば、日本の科学は木村博士一人の科学で、他の物理学者、数学者、化学者、乃至動植物・・・ 夏目漱石 「学者と名誉」
・・・「大方睾丸でもつつむ気だろう」 アハハハハと皆一度に笑う。余も吹き出しそうになったので職人はちょっと髪剃を顔からはずす。「面白え、あとを読みねえ」と源さん大に乗気になる。「俗人は拙が作蔵を婆化したように云う奴でげすが、そりゃ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
出典:青空文庫