・・・「無論なら安心して、僕に信頼したらよかろう。からだは小さいが、朋友を一人谷底から救い出すぐらいの事は出来るつもりだ」「じゃ上がるよ。そらっ……」「そらっ……もう少しだ」 豆で一面に腫れ上がった両足を、うんと薄の根に踏ん張った・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・だから僕にも信頼しないんだ。こんな絶望があるだろうか。「だけど、このまま、そんな事をしていれば、君の命はありやしないよ。だから医者へ行くとか、お前の家へ連れて行くとか、そんな風な大切なことを訊いてるんだよ」 女はそれに対してこう答え・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ ギラギラする光の中から、地下室の監房のような船室へ、いきなり飛び込んだ彼は、習慣に信頼して、ズカズカと皿箱をとりに奥へ踏み込んだ。 皿箱は、床格子の上に造られた棚の中にあった。 彼は、ロープに蹴つまずいた。「畜生! 出鱈目・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・ そして、私たちの考える能力をこれまでのかたくるしい修養修養という型からの〔数字分破損〕自発的な一日の計画に敬意をはらって日本のラジオも、民衆のエイチに信頼し立派な音楽でも送ってゆくようになりたいものだと思います。〔一九四六年九月〕・・・ 宮本百合子 「朝の話」
・・・ そこにこそ、このひとつらなりの長篇に力を傾ける作者の歓喜と信頼がかくされている。「二つの庭」は、人間の善意が、次第に個人環境のはにかみと孤立と自己撞着から解きはなされて現代史のプログラムに近づいてゆく、その発端の物語としてあらわれる。・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
・・・自分の感動をかくさず、人々も、まともな心さえもつならば、美しい響きは美しいと聴くであろうという信頼において。 ソヴェト紹介の文章そのものの率直さ、何のためらいもなく真直じかに主題にふれ共産党の存在にふれている明るさが、この事実を直截に示・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・いずれも忠利の深く信頼していた侍どもである。だから忠利の心では、この人々を子息光尚の保護のために残しておきたいことは山々であった。またこの人々を自分と一しょに死なせるのが残刻だとは十分感じていた。しかし彼ら一人一人に「許す」という一言を、身・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・何ぜなら、もしも然るがように新時代の意義が生活の感覚化にありとするならば、いかなるものと雖もそれらの人々のより高きを望む悟性に信頼し、より高遠な、より健康な生活への批判と創造とをそれらの人々に強いるべきが、新しき生活の創造へわれわれを展開さ・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・自分の内には、自分の運命に対する強い信頼が小供の時から絶えず活らいていたけれども、またその側には常に自分の矮小と無力とを恥じる念があって、この両者の相交錯する脈搏の内にのみ自分の成長が行われていたのであるが、この時からその脈搏は止まってしま・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
・・・道徳的には潔癖であるとさえ思い習わしていた自分が、汚穢に充ちた泥溝の内に晏如としてあった、という事実は、自分の人格に対する信頼を根本から揺り動かした。 腐敗はそれのみにとどまらなかった。私はいつのまにか愛の心を軽んじ侮るようになっていた・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫