・・・長い修練によってそれをすっかり体得した上で、始めて自分自身の考えを運ぶ道具にする事ができる。 数学でも、ただ教科書や講義のノートにある事がらを全部理解しただけではなかなか自分の用には立たない。やはりいろいろな符号の意味をすっかり徹底的に・・・ 寺田寅彦 「数学と語学」
・・・そしてかの地で聞く機会の多いオペラのアリアや各種器楽のレコードを集めて、それを研究し修練してわびしいひとり居の下宿生活を慰めていた。その人の所で私はいい蓄音機のいいレコードがそれほど恐ろしいものではないという事を初めて知った。しかしそれにし・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・それには多年の修練によるデリケートな神経と筋肉の作用を要する。この測夫の熟練のいかんによって観測作業の進捗が支配されるのである。ある時向こうの山頂の回照器がいつまで待っても光を送らない。信号をしても返事がない。行って見ると櫓から落ちて死んで・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・それは人々の天性や傾向にもよる事であろうが、一つにはまた絶えざる努力と修練を要する事は勿論である。然るに現今幾百を数える知名の画家殊に日本画家中で少なくも真剣にこういう努力をしている人が何人あるかという事は、考えてみると甚だ心細いような気が・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・そうして、この新しい日本人が新しい自然に順応するまでにはこれから先相当に長い年月の修練を必要とするであろうと思われる。多くの失敗と過誤の苦い経験を重ねなければなるまいと思われる。現にそうした経験を今日われわれは至るところに味わいつつあるので・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・吾人普通の感官を備えた人間がこのような相違に気のつかぬのは遺伝や長い間の経験によって、外界の標準を外界に置いて非常に複雑な修練と無意識的の推理を経て来た結果にほかならぬのであろう。 吾人の理性に訴えて描き出す幾何的の空間、至るところ均等・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・その心的方面を云うと、この無益な心的要素が何れ程まで修練を加えたらものになるか、人生に捉われずに、其を超絶する様な所まで行くか、一つやッて見よう、という心持で、幾多の活動上の方面に接触していると、自然に、人生問題なぞは苦にせずに済む。で、こ・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・これまで文学の仕事というものは、今日にあっても室生氏が未だ業ならざる者は弾丸に当って死ぬがまし、と云っても自身その言葉に赤面しないですんでいるような、特殊な専門的修練を経て成り上った少数者の技術のように考えられていた。しかし、それならばと云・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・は小さい作品だし、これから大きい題材とテーマをこなしてゆくには幾多の苦労と修練とがいることは明白だけれども、これが新しい勤労者作家のけっしてわるくない見本であることも事実です。志賀直哉の文体は、日本ブルジョア・リアリズムの終点でした。志賀直・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・靴が軟かいし、永年の修練で、 ハオ! パン!と、それは丸い、其癖ひどく刺戟的な勇ましい音を出したものだ。子供の胸に、一種のセンセイションが湧いた。柔軟な鞣に包まれた肉体が、薄い布を透して肉体を搏つ音。原始的な何ものかが在ったに違いな・・・ 宮本百合子 「茶色っぽい町」
出典:青空文庫