・・・譜面台の上に置き捨てられたショパンの作曲に眼をつけて、やがて次第に引入れられて弾き初める、そこへいったん失望して帰りかけたショパンがそっと這入って来て、リストと背中合せに同じ曲を弾き出す場面には一種の俳諧を感ぜられて愉快である。 この種・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・あくどい蒼蠅さがわりに少なくて軽快な俳諧といったようなものが塩梅されているようである。例えばドライヴの途上に出て来るハイカラな杣や杭打ちの夫婦のスケッチなどがそれである。「野羊の居る風景」などもそれである。ただ残念に思うのは、外国の多くの実・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・そうして日本の俳諧や短歌の中にモンタージュ芸術の多分な要素の含まれていることを強調しているそうである。 エイゼンシュテインがいかなる程度にわが国の俳諧を理解してこう言っているかはわかりかねるが、日本人の目から見ても最もすぐれたモンタージ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・自分がいつも繰り返して言うようにもし映画製作者に多少でも俳諧連句の素養があらば、こういうところでいくらでも効果的な材料の使い方があるであろうと思われるのである。 早打ちの使者の道中を見せる一連の編集でも連句的手法を借りて来ればどんなにで・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 根岸派の新俳句が流行し始めたのは丁度その時分の事で、わたくしは『日本』新聞に連載せられた子規の『俳諧大要』の切抜を帳面に張り込み、幾度となくこれを読み返して俳句を学んだ。 漢詩の作法は最初父に就いて学んだ。それから父の手紙を持って・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・それと共に四季折々の時候に従って俳諧的詩趣を覚えさせる野菜魚介の撰択に通暁している。それにもかかわらず私はもともと賤しい家業をした身体ですからと、万事に謙譲であって、いかほど家庭をよく修め男に満足と幸福を与えたからとて、露ほどもそれを己れの・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・遅桜もまだ散り尽さぬ頃から聞えはじめる苗売の声の如き、人はまだ袷をもぬがぬ中早くも秋を知らせる虫売の如き、其他風鈴売、葱売、稗蒔売、朝顔売の如き、いずれか俳諧中の景物にあらざるはない。正月に初夢の宝船を売る声は既に聞かれなくなったが、中元に・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・ この記事から飜て向島と江戸文学との関係を見ると、江戸の人は時代からいえば巴里人よりももっと早くから郊外の佳景に心附いていたのだ。俳諧師の群は瓢箪を下げて江東の梅花に「稍とゝのふ春の景色」を探って歩き、蔵前の旦那衆は屋根舟に芸者と美酒と・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・ わたくしは夜烏子がこの湯灌場大久保の裏長屋に潜みかくれて、交りを文壇にもまた世間にも求めず、超然として独りその好む所の俳諧の道に遊んでいたのを見て、江戸固有の俳人気質を伝承した真の俳人として心から尊敬していたのである。子は初め漢文を修・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・元禄時代にあって俳諧をつくる者は皆名文家である。芭蕉とその門人去来東花坊の如き皆然りで、独西鶴のみではない。試に西鶴の『五人女』と近松の世話浄瑠璃とを比較せよ。西鶴は市井の風聞を記録するに過ぎない。然るに近松は空想の力を仮りて人物を活躍させ・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
出典:青空文庫