・・・Wという名前を覚えていないし、それこそ、なんの恩怨もないのだし、私は高等学校時代の友人の顔でさえ忘れていることが、ままあるくらいの健忘症なのに、W君の、その窓から、ひょいと出した丸い顔だけは、まっくらい舞台に一箇所スポットライトを当てたよう・・・ 太宰治 「酒ぎらい」
・・・ 凶作のみならず水害風害あるいは地震や火事の災害を根本的に除くためには、やはり同様な恒久的施設が必要である。健忘症の政治家や気まぐれな学界元老などの手に任せておくにはあまりに大切な仕事である。 こういう見地から見て現在一番信頼の出来・・・ 寺田寅彦 「新春偶語」
・・・もっともこれを忘れているおかげで今日を楽しむことができるのだという人があるかもしれないのであるが、それは個人めいめいの哲学に任せるとして、少なくも一国の為政の枢機に参与する人々だけは、この健忘症に対する診療を常々怠らないようにしてもらいたい・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・人の噂も七十五日、という日本らしい健忘症のうちに消しさられないことを切望する。 この帝銀事件が、わたしたちに教えていることは極めて意味がふかい。人間を殺すことを平気でやれるように、日夜教育し実践させた戦争の犯罪性が、まざまざと反映してい・・・ 宮本百合子 「目をあいて見る」
出典:青空文庫