・・・それは二つの道のうち一つだけを選み取って、傍目もふらず進み行く人の努力である。かの赤き道を胸張りひろげて走る人、またかの青き道をたじろぎもせず歩む人。それをながめている人の心は、勇ましい者に障られた時のごとく、堅く厳しく引きしめられて、感激・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・がちがち震えながら、傍目も触らず、坊主が立ったと思う処は爪立足をして、それから、お前、前の峰を引掻くように駆上って、……ましぐらにまた摺落ちて、見霽しへ出ると、どうだ。夜が明けたように広々として、崖のはずれから高い処を、乗出して、城下を一人・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ うろつく者には、傍目も触らず、粛然として廊下を長く打って、通って、広い講堂が、青白く映って開く、そこへ堂々と入ったのです。「休め――」 ……と声する。 私は雪籠りの許を受けようとして、たどたどと近づきましたが、扉のしまった・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ 霧の中に笑の虹が、溌と渡った時も、独り莞爾ともせず、傍目も触らず、同じようにフッと吹く。 カタリと転がる。「大福、大福、大福かい。」 とちと粘って訛のある、ギリギリと勘走った高い声で、亀裂を入らせるように霧の中をちょこちょ・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 濡れても判明と白い、処々むらむらと斑が立って、雨の色が、花簪、箱狭子、輪珠数などが落ちた形になって、人出の混雑を思わせる、仲見世の敷石にかかって、傍目も触らないで、御堂の方へ。 そこらの豆屋で、豆をばちばちと焼く匂が、雨を蒸して、・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・何せ小さい釘のことであるから、ちからの容れどころが無く、それでも曲った釘を、まっすぐに直すのには、ずいぶん強い圧力が必要なので、傍目には、ちっとも派手でないけれども、もそもそ、満面に朱をそそいで、いきんでいました。そうして笠井さんは、自分な・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・その証拠には西洋第一流の大家の最も優れた論文に対してさえも、第三流以下の学者の岡目から何かしら尤もらしい望蜀的の不満を持ち出してそれを抗議の種にすることは比較的容易なことである。白梅の花を見て色のないのを責めるような種類の云わば消極的な抗議・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・ふと見れば、枯蘆の中の小家から現れた女は、やはり早足にわたくしの先へ立って歩きながら、傍目も触れず大門の方へ曲って行った。狐でもなく女給でもなく、公休日にでも外出した娼妓であったらしい。わたくしはどこで夕飯をととのえようかと考えながら市設の・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・うねる流を傍目もふらず、舳に立って舟を導く。舟はいずくまでもと、鳥の羽に裂けたる波の合わぬ間を随う。両岸の柳は青い。 シャロットを過ぐる時、いずくともなく悲しき声が、左の岸より古き水の寂寞を破って、動かぬ波の上に響く。「うつせみの世を、・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・世の中は広いものです、広い世の中に一本の木綿糸をわたして、傍目も触らず、その上を御叮嚀にあるいて、そうして、これが世界だと心得るのはすでに気の毒な話であります。ただ気の毒なだけなら本人さえ我慢すればそれですみますが、こう一本調子に行かれては・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫