・・・私は先達ても今日の通り、唯一色の黒の中に懶い光を放っている、大きな真珠のネクタイピンを、子爵その人の心のように眺めたと云う記憶があった。……「どうです、この銅版画は。築地居留地の図――ですか。図どりが中々巧妙じゃありませんか。その上明暗・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ その夜、近くの大西質店の主人が大きな風呂敷を持ってやってき、おくやみを述べたあと、「じつは先達てお君はんの嫁入りの時、支度の費用やいうて、金助はんにお金を御融通しましてん。そのとき預ったのが利子もはいってまへんので、もう流れてまん・・・ 織田作之助 「雨」
・・・お梅さんが先達て琴平で買って来たのよ、奉公に出る時持てゆきたいって……。」「まだ小供ですもの、ねえ」とお富は立て二人は暗い階段を危なそうに下り、お秀も一所に戸外へ出た。月は稍や西に傾いた。夜は森と更けて居る。「そこまで送りましょう。・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・私は反古にして無くして仕舞いましたが、先達て此事を話し出した節聞いたらば、麗水君は今も当時写したのを持って居るという事でした。 わたくしは前にも申した通り学生生活の時代が極短くて、漢学の私塾にすらそう長くは通いませんでした。即ち輪講をし・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・ 先達て開かれた「煙草に関する展覧会」でこの天狗煙草の標本に再会して本当に涙の出る程なつかしかったが、これはおそらく自分だけには限らないであろう。天狗がなつかしいのでなくて、その頃の我が環境がなつかしいのである。 官製煙草が出来るよ・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・しかし破壊的地震としては極めて局部的なものであって、先達ての台湾地震などとは比較にならないほど小規模なものであった。 新聞では例によって話が大きく伝えられたようである。新聞編輯者は事実の客観的真相を忠実に伝えるというよりも読者のために「・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・ つい先達て「歯」のことを書いた中に「硬口蓋」のことを思い違えて「軟口蓋」としてあったのを手紙で注意してくれた人があったが、こういうのは最も有難い読者である。 ずっと前の話であるが、『藪柑子集』中の「嵐」という小品の中に、港内に碇泊・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・ 津田君は先達て催した作画展覧会の目録の序で自白しているように「技巧一点張主義を廃し新なる眼を開いて自然を見直し無技巧無細工の自然描写に還り」たいという考えをもっている人である。作画に対する根本の出発点が既にこういうところにあるとすれば・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・どうも奇態な男だ。先達て『日本』新聞に掲げた古瓦の画などは最も得意でまた実際真似は出来ぬ。あの瓦の形を近頃秀真と云う美術学校の人が鋳物にして茶托にこしらえた。そいつが出来損なったのを僕が貰うてあるから見せようとて見せてくれた。十五枚の内よう・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・これはつまり国務大臣や宮中の人が科学に縁のない人ばかりだからであろう。先達て宮中の園遊会で音楽者、戯曲家、文学者を招待されたが科学者は呼ばれなかった」とこぼしている。 蚊の撲滅 北米バルチモアーでは蚊のためにいろん・・・ 寺田寅彦 「話の種」
出典:青空文庫