・・・風呂の前の方へきたら釜の火がとろとろと燃えていてようやく背戸の入り口もわかった。戸が細目にあいてるから、省作は御免下さいと言いながら内へはいった。表座敷の方では年寄りたちが三、四人高笑いに話してる。今省作がはいったのを知らない。省作は庭場の・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・と、吉弥が入り口の板の間まで出て来た。大きな丸髷すがたになっている。「………」僕は敷居をまたいでから、無言で立っていると、「まア、おあがんなさいな」と言う。 見れば、もとは店さきでもあったらしい薄ぐらい八畳の間の右の片隅に僕の革・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・と、子供はいって、小舎の入り口から、くりのまりのような、毛ののびたくびを出して、空の景色をながめると、林の間から、雲切れのした、青い空の色が、すがすがしく見られたのです。そして、たかの空を舞って鳴く声が聞こえました。「いってみろ! いっ・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・ 彼は、朝起きると、入り口に、大きな白い羽の、汚れてねずみ色になった、いままでにこんな大きな鳥を見たこともない、鳥の死んだのが、壁板にかかっているのを見てびっくりしました。「これはなに?」と、太郎は、目を円くして問いました。「こ・・・ 小川未明 「大きなかに」
お城の奥深くお姫さまは住んでいられました。そのお城はもう古い、石垣などがところどころ崩れていましたけれど、入り口には大きな厳めしい門があって、だれでも許しがなくては、入ることも、また出ることもできませんでした。 お城は、さびしいと・・・ 小川未明 「お姫さまと乞食の女」
・・・ おばあさんは立ちあがって、入り口の方に行きました。小さな手でたたくとみえて、トン、トンというかわいらしい音がしていたのであります。「こんなにおそくなってから……。」と、おばあさんは口のうちでいいながら戸をあけて見ました。するとそこ・・・ 小川未明 「月夜とめがね」
年中借金取が出はいりした。節季はむろんまるで毎日のことで、醤油屋、油屋、八百屋、鰯屋、乾物屋、炭屋、米屋、家主その他、いずれも厳しい催促だった。路地の入り口で牛蒡、蓮根、芋、三ツ葉、蒟蒻、紅生姜、鯣、鰯など一銭天婦羅を揚げ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・それに町の出口入り口なれば村の者にも町の者にも、旅の者にも一休息腰を下ろすに下ろしよく、ちょっと一ぷくが一杯となり、章魚の足を肴に一本倒せばそのまま横になりたく、置座の半分遠慮しながら窮屈そうに寝ころんで前後正体なき、ありうちの事ぞかし。・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・この時十蔵室の入り口に立ちて、君らは早く逃げたまわずやというその声、その挙動、その顔色、自己は少しも恐れぬようなり。この時振動の力さらに加わりてこの室の壁眼前に崩れ落つる勢いすさまじく岡村と余とは宮本宮本と呼び立てつつ戸外に駆けいでたり。十・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ 病室の入り口では護送に行く筈だった看護卒が防寒服をぬぎ、帯剣をはずして、二三人で、何かひそ/\話し合っていた。負傷者が行くと、不自然な笑い方をして、帯皮を輪にしてさげた一人は急いで編上靴を漆喰に鳴らして兵舎の方へ走せて行った。 患・・・ 黒島伝治 「氷河」
出典:青空文庫