・・・草津入浴のついでにこのへんを見物に来たのだろうというものもあった。しかし、当人は存外のんきに歌でも詠んでいたのかも、それはわからない。顔の粉っぽいのは白粉のつけそこねであったかも、それはわからない。 軽井沢の駅へおりた下り列車の乗客が、・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・江戸時代の遺風としてその当時の風呂屋には二階があって白粉を塗った女が入浴の男を捉えて戯れた。かくの如き江戸衰亡期の妖艶なる時代の色彩を想像すると、よく西洋の絵にかかれた美女の群の戯れ遊ぶ浴殿の歓楽さえさして羨むには当るまい。 ・・・ 永井荷風 「伝通院」
一月○日 朝飯をたべて、暫く休んで、入浴してかえって横になっていると、傷の写真をとりますから腹帯はあとになすって下さいということだ。やがて、白い上っぱりを着た写真師が助手をつれて入って来て、ベッドに仰むきに臥ている自分・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・ 入浴、髪 風呂はすきですから毎日はいります。髪は今まで人の手で結んで貰ったことは一度もありません。いつも自分でグルグルと巻きつけて置くだけです。 創作前後のこと 創作にとりかかる・・・ 宮本百合子 「身辺打明けの記」
・・・ 或る日、私は看護婦の入浴の間、祖母の傍にいた。火鉢の火が少くなって来た。台所に行ってガス火起しを見つけているうちに、私はふと何ともいえず胸を打ったものを見出した。硝子戸棚の下の台に、小さく、カンカンに反くりかえったパンが一切、ぽつねん・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・十二日から二十七日まで毎日注射をうけたこと、十四日にレントゲン写真腎臓結石とわかったこと、十八日には入浴を許可されたこと、二十一日に「A1連中ヨリ夕食ニスープ及ジェリーヲ贈ラル。礼状出ス」家族にわたした金の額などまで書かれています。二十七日・・・ 宮本百合子 「父の手帳」
・・・ 九月二十九日夜 三人 モンマルトルの赤馬で食事してかえったら下に速達 板倉鼎 朝六時死 板倉さんに泊る 三十日 夜ペルールにかえり入浴 泊る 十月一日 葬式 雨 十月二日 ひどい風 十二時まで眠る・・・ 宮本百合子 「「道標」創作メモ」
出典:青空文庫