・・・ことに、了哲が、八朔の登城の節か何かに、一本貰って、嬉しがっていた時なぞは、持前の癇高い声で、頭から「莫迦め」をあびせかけたほどである。彼は決して銀の煙管が欲しくない訳ではない。が、ほかの坊主共と一しょになって、同じ煙管の跡を、追いかけて歩・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・ その年の八月一日、徳川幕府では、所謂八朔の儀式を行う日に、修理は病後初めての出仕をした。そうして、その序に、当時西丸にいた、若年寄の板倉佐渡守を訪うて、帰宅した。が、別に殿中では、何も粗そそうをしなかったらしい。宇左衛門は、始めて、愁・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・もっとも二百十日や八朔の前後にわたる季節に、南洋方面から来る颱風がいったん北西に向って後に抛物線形の線路を取って日本を通過する機会の比較的多いのは科学的の事実である。そういう季節の目標として見れば二百十日も意味のない事はない、しかし厄年の方・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
出典:青空文庫