・・・ 小泉八雲は人間よりも蝶になりたいと云ったそうである。蝶――と云えばあの蟻を見給え。もし幸福と云うことを苦痛の少ないことのみとすれば、蟻も亦我我よりは幸福であろう。けれども我我人間は蟻の知らぬ快楽をも心得ている。蟻は破産や失恋の為に自殺・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 学生時代に、その講義を聴いた小泉八雲氏は、稀代な名文家として知られていますが、たとえば、夏の夜の描写になると、殆んど、熱した空気が、肌に触れるようにまた、氏の好めるやさしい女性が、さゝやく時には、その息が、自分の顔にまで、かゝるように・・・ 小川未明 「読むうちに思ったこと」
・・・公立八雲小学校の事は大河でなければ竹箒一本買うことも決定るわけにゆかぬ次第。校長になってから二年目に升屋の老人、遂に女房の世話まで焼いて、お政を自分の妻にした。子が出来た。お政も子供も病身、健康なは自分ばかり。それでも一家無事に平和に、これ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・名前は忘れたが或る外国人のあらわしたショパン伝を読んでいたら、その中に小泉八雲の「男は、その一生涯に、少くとも一万回、女になる。」という奇怪な言葉が引用されていたが、そんなことはないと思う。それは、安心していい。 日本の作家で、ほんとう・・・ 太宰治 「女人創造」
・・・現在世に行われている「八雲琴」は、これである。発明者は、中山通郷氏という事になっている。なお彼は、文政十年、十六歳の春より人に代筆せしめ稽古日記を物し始めたが、天保八年、二十六歳になってからは、平仮名いろは四十八文字、ほかに数字一より十まで・・・ 太宰治 「盲人独笑」
十余年前に小泉八雲の小品集「心」を読んだことがある。その中で今日までいちばん深い印象の残っているのはこの書の付録として巻末に加えられた「三つの民謡」のうちの「小栗判官のバラード」であった。日本人の中の特殊な一群の民族によっ・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・(小泉八雲の手紙。野口米次郎 科学の研究には設備と費用がかかるから、どうも孤独ではできない。しかしこのヘルンのつむじ曲がりの言葉の中には味わうべき何かはある。彼の言葉を少しばかり参考すると日本の科学はもう少し進みはしないか。 ・・・ 寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
・・・は明治開化期の日本の文化のありようと、後に日本の科学の大先輩として貢献した人々の若き日の真摯な心情とを、医学者としてのベルツ、生物学者としてのモールスが記述していて、文学における小泉八雲、哲学のケーベル博士、美術のフェノロサの著述とともに、・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・蝶々夫人、お菊さん、小泉八雲の描くところの日本。それらはいずれも昔の日本の或る一面、或はそれが嘗ては日本であったところのものを、語っているかもしれないが、何しろ一九二九年以後の日本というものは、国際関係の現実の中で極めて現実味の強烈な或る意・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
出典:青空文庫