七月八日、朝刊によって、有島武郎氏が婦人公論の波多野秋子夫人と情死されたことを知った。実に心を打たれ、その夜は殆ど眠れなかった。 翌朝、下六番町の邸に告別式に列し、焼香も終って、じっと白花につつまれた故人の写真を見・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
森鴎外の「歴史もの」は、大正元年十月の中央公論に「興津彌五右衛門の遺書」が載せられたのが第一作であった。そして、斎藤茂吉氏の解説によると、この一作のかかれた動機は、その年九月十三日明治大帝の御大葬にあたって乃木大将夫妻の殉・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・若い女性たちの関心も結婚という課題にじかに向かっていて、婦人公論の柳田国男氏の女性生活史への質問も、五月号では「家と結婚」をテーマとしている。 若い女性の結婚に対する気持が、いくらかずつ変化して来ていると感じたのは、すでにきのう今日のこ・・・ 宮本百合子 「結婚論の性格」
・・・「婦人公論の新年号みた? あるわよ、いろんなのが……」などという会話をとりかわすのは、一体どんな婦人及彼女の彼氏たちでありましょうか? 朝六時に、霜でカンカンに凍った道を赤い鼻緒の中歯下駄で踏みながら、正月になっても去年のショー・・・ 宮本百合子 「ゴルフ・パンツははいていまい」
・・・それは、雑誌のことで、雑誌も、正月の『婦人公論』についてである。 初め、女流百人百題という題を見、ジャアナリズムを感じただけであった。順ぐり読むうちに、そうばかりも云えぬ気がして来た。兎に角ここには、これだけ現代女性の云うこと、思うこと・・・ 宮本百合子 「是は現実的な感想」
・・・を坪内逍遙博士に見ていただきました処、意外にも非常なお推奨を受けまして博士のお世話で中央公論に発表されたので、幸い有難い評判をいただきました。お茶の水の卒業後暫く目白の女子大学に学び、先年父の外遊に随って渡米、コロムビア大学に留まって社会学・・・ 宮本百合子 「処女作より結婚まで」
私が、初めて瀧田哲太郎氏に会ったのは、西片町に在った元の中央公論社でであった。大正五年の五月下旬であったろうか、私は坪内先生からの紹介で二百枚ばかりの小説を持ち、瀧田氏に面会を求めて行ったのです。 留守かと思ったら、幸・・・ 宮本百合子 「狭い一側面」
二月 日曜、二十日 朝のうち、婦人公論新年号、新聞の切りぬきなどをよんだ。東京に於る、始めての陪審裁判の記事非常に興味あり。同時に陪審員裁判長の応答、その他一種の好意を感じた。紋付に赤靴ばきの陪審員の正直な熱心さが・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・ カルメン夫人はいかにも人柄のよい、教養のあるひとらしく、『婦人公論』などに書いた文章などよむと、むしろ音楽を文学的に、哲学的に感じすぎているようなところさえうかがわれる。夫人は、その教養でワインガルトナーが芸術家として到達しているとこ・・・ 宮本百合子 「近頃の話題」
・・・『改造』『中央公論』などという綜合雑誌の発行所がその雑誌の属する第七部とかには出ていないで中央公論社は、『婦人公論』で第五部に、改造社は『短歌研究』、『俳句研究』で、研究社の『英語研究』と同じ類別のなかにくまれていたと書かれていたように記憶・・・ 宮本百合子 「日本文化のために」
出典:青空文庫