・・・と安心し、大衆の実生活が内包する革命性の豊富さに対するオルグとしての自己の実践の貧弱さ、誤謬はそれなりに飛び越えてしまっている。きわめて非マルキシスト的な態度である。「樹のない村」の検討において特に作家とオルグ的活動についての分裂的認識・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・客観的に今日の文化がそういう欲求を内包しているからこそ、散文精神の見直しが試みられもしたのであったろうと思う。〔一九三九年十一月〕 宮本百合子 「現実と文学」
・・・バルザックが、今日いう意味ではリアリストでなかったのだし、彼のロマンチシズムがその時代の必然によって、リアリズムを既に内包していたこと、その二つの矛盾が作品のすべてに実に顕著に顕れていること、従って、林氏亀井氏保田与重郎氏の云う日本ロマン派・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・のうちにも内包されていた一種の腕の面を発達させて、「結婚の生態」に今日到達している姿はなかなか面白いと思う。この野望に充ちた一人の作家は、作品をこなしてゆく腕にたよって、例えば「生きている兵隊」などでは、当時文壇や一般に課題とされていた知性・・・ 宮本百合子 「今日の読者の性格」
・・・ ヒューマニズムの提唱が、その意識的、或は論者の社会的所属によって生じている矛盾の無意識な反映として内包していた誤れる抽象性によって、或る意味で文化の分裂を早める力となったことは、実に再三、再四の反省を促す点であろうと思われる。 文・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 散文が、芸術の言葉として生かされるとき、もし人間の救われている状態を内包することの出来ないものなら、どうして散文でかかれた一つの壮大な悲劇が、悲劇においてさえ猶芸術は人間の精神をよろこばせるという意味ふかく豊富なおどろきを与え得よう。・・・ 宮本百合子 「作品のよろこび」
・・・ ヒューマニズムの歴史性そのものが内包していた方向から目をそらして無制約に人間中心の唱えられたことは、文学に雑多な個別的な花を開かせたが、例えば尾崎士郎の「人生劇場」にしろ、川端康成の「雪国」にしろ、各人の芸術完成の一定段階を示しながら・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・今日の現実の内包している諸事情を、真に人民としての洞察と無私にたって観察すれば、こういう幾本かの筋が、くっきりと混沌の中から浮んで来るのである。 私たちは自分たち自身を過りにおとしいれ思わぬワナにはめないために、食糧管理委員会の運営の方・・・ 宮本百合子 「人民戦線への一歩」
・・・それ故詳しく具体的に見れば、今日の大衆の実質の中には、画期的な多量さで知識人要素が内包されて来ているわけである。大衆の質も量も、この十年間に大いに変化して来ていることは否めない事実なのである。 日本に解放運動の思想が入って来た時分と今日・・・ 宮本百合子 「全体主義への吟味」
・・・内容の範囲をひろげてつかわれているらしい伊藤整の衝動という用語をもって表現すれば、歴史に内包するこのような新しい文学への潜在的な衝動こそ、かえって多くの人間的欲求をもつ文学者の頭脳に反射作用し、逆に日本の知性への不信を表明させもしているのだ・・・ 宮本百合子 「人間性・政治・文学(1)」
出典:青空文庫