・・・夜になると間もなく、板倉佐渡守から急な使があって、早速来るようにと云う沙汰が、凶兆のように彼を脅したからである。夜陰に及んで、突然召しを受ける。――そう云う事は、林右衛門の代から、まだ一度も聞いた事がない。しかも今日は、初めて修理が登城をし・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・此所に現象しているものは、確かに何かの凶兆である。確かに今、何事かの非常が起る! 起きるにちがいない! 町には何の変化もなかった。往来は相変らず雑鬧して、静かに音もなく、典雅な人々が歩いていた。どこかで遠く、胡弓をこするような低い音が、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・私を失ったためよりも、私の別離が凶兆として響いたために。――こう私は考える。私は薄情であった。そうしてただ一つの薄情でも、人生のはかなさを思わせるには十分であった。彼らの鼻っぱしの強い誇り心は恐らくこの事実を認めまいとするだろうが、彼らの認・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫