・・・ことに不思議なるは同人の頸部なる創にして、こはその際兇器にて傷けられたるものにあらず、全く日清戦争中戦場にて負いたる創口が、再、破れたるものにして、実見者の談によれば、格闘中同人が卓子と共に顛倒するや否や、首は俄然喉の皮一枚を残して、鮮血と・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・自殺の凶器が、目前に横たわった時は、もはや身を殺す恐怖のふるえも静まっているのでなかろうか。 豪雨の声は、自分に自殺を強いてる声であるのだ。自分はなお自殺の覚悟をきめ得ないので、もがきにもがいているのである。 死ぬときまった病人でも・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・芸者とも女優ともつかぬ此のけばけばしい風俗で良家を訪問することは其家に対しては不穏な言語や兇器よりも、遥に痛烈な脅嚇である。むかしの無頼漢が町家の店先に尻をまくって刺青を見せるのと同しである。僕はお民が何のために突然僕の家へ来たのかを問うよ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・良人が兇器をもって不自然に死んだ妻の傍に立っていた。だから良人が手を下したのではないかという疑いは一応誰しも持つであろう。実際は誤った自殺であった。五十一頁に亙る探偵小説は、主人公が「現実と理性との薄明にさ迷っている知識階級で」あり「このよ・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・けれども、人民の生活と、それを徹底的に傷つけた支配階級の関係を実際に立って観察すれば、兇器を持って私達の生活を攪乱するその人々をも含めて、私たち人民がすべて、強権と犯罪的な戦争による被害者である。 このことは明瞭に自覚されなければならな・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・絶えず隙間を狙う兇器の群れや、嫉視中傷の起す焔は何を謀むか知れたものでもない。もし戦争が敗けたとすれば、その日のうちに銃殺されることも必定である。もし勝ったとしても、用がすめば、そんな危険な人物を人は生かして置くものだろうか。いや、危い。と・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫