・・・もう一分間遅れても、妙子の命はなくなります。遠藤は咄嗟に身を起すと、錠のかかった入口の戸を無理無体に明けようとしました。が、戸は容易に破れません。いくら押しても、叩いても、手の皮が摺り剥けるばかりです。 六 その内に・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・それから四五十分間は眠ったらしかった。しかし又誰か僕の耳にこう云う言葉を囁いたのを感じ、忽ち目を醒まして立ち上った。「Le diable est mort」 凝灰岩の窓の外はいつか冷えびえと明けかかっていた。僕は丁度戸の前に佇み、誰・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・さればや一艘の伝馬も来らざりければ、五分間も泊らで、船は急進直江津に向えり。 すわや海上の危機は逼ると覚しく、あなたこなたに散在したりし数十の漁船は、北るがごとく漕戻しつ。観音丸にちかづくものは櫓綱を弛めて、この異腹の兄弟の前途を危わし・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・三十分間、兵営までさえ大急でございます。飛んだ長座をいたしました。」 謂うことを聞きも果てず、叔母は少しく急き込みて、「その言は聞いたけれど、女の身にもなって御覧、あんな田舎へ推込まれて、一年越外出も出来ず、折があったらお前に逢いた・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ いかがでしょうか、物の十分間もかかるまいと思いますから、是非お許しを願いたいですが、それにこのすぐ下は水が深くてとうてい牛を牽く事ができませんから、と自分は詞を尽して哀願した。 そんな事は出来ない。いったいあんな所へ牛を置いちゃい・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・この場合に臨んではもう五分間と起きるを延ばすわけにゆかぬ。省作もそろそろ起きねばならんでなお夜具の中でもさくさしている。すぐ起きる了簡ではあるが、なかなかすぐとは起きられない。肩が痛む腰が痛む、手の節足の節共にきやきやして痛い。どうもえらい・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・私は十五分の予定だったその放送を十分で終ってしまったが、端折った残りの五分間で、「皆さん、僕はあんな小説を書いておりますが、僕はあんな男ではありません」と絶叫して、そして「あんな」とは一体いかなることであるかと説明して、もはや「あんな」の意・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・そしてその朝私は午前五時に起きて支度をし、タクシーでかけつけたので、点呼場へ着いたのは、午前七時にまだ三十分間があった。ところが驚いたことには、参会者はすでに整列をすましていて、何のことはない私は遅刻して来た者のようであった。それで私はおそ・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ 一分間で言える、僕と或少女と乙な中になった、二人は無我夢中で面白い月日を送った、三月目に女が欠伸一つした、二人は分れた、これだけサ。要するに誰の恋でもこれが大切だよ、女という動物は三月たつと十人が十人、飽きて了う、夫婦なら仕方がないから結・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・極刑に処せられることなしに兵営から逃出し得るならば、彼は、一分間と雖も我慢していたくはなかった。――僅かの間でもいい、兵営の外に出たい、情味のある家庭をのぞきたい。そういう慾求を持って、彼は、雪の坂道を攀じ登った。 丘の上には、リーザの・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
出典:青空文庫