・・・顔のここらへちょっと一刷毛、どうですこの色は新しいね。トラヽイラヽララー、絵具の払いはいつでもよい。 五 地獄変相図の世界国ノアの洪水、ソファの下から這出した蜘蛛蟹のお化け。熱つや苦しや、通風の悪い残暑の人い・・・ 寺田寅彦 「二科狂想行進曲」
・・・大部分はただ緑色で、それに濃い紫の刷毛目を引いた花冠は、普通の意味ではあまり美しいものではないが、しかしそのかわりにきわめて品のいい静かに落ち着いた美しさがあった。これを、花やかに美しい、たとえばおとぎ話の王女のようなベコニアと並べて見た時・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・石榴の花と百日紅とは燃えるような強い色彩を午後の炎天に輝し、眠むそうな薄色の合歓の花はぼやけた紅の刷毛をば植込みの蔭なる夕方の微風にゆすぶっている。単調な蝉の歌。とぎれとぎれの風鈴の音――自分はまだ何処へも行こうという心持にはならずにいる。・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・高速度カメラが夢中で疾走する人体の腿の筋肉をも見せる力をもっているように、こうして動きつつ、動かしつつ、動かされてもいる私たちの生活図を、野放図な刷毛使いでげてもの趣味に描くのではなく、作家自身の内外なる歴史性への感覚をも、活々と相連関する・・・ 宮本百合子 「人生の共感」
・・・毎朝、鷺宮から銀座裏へ出勤してくる櫛田さんの大きい手提袋の中には、のりと鍋と刷毛が入れられるようになった。クラブの事務をたすけている若い人々と櫛田さんは、新しく出る婦人民主新聞のために宣伝のビラをはり、発送を担当し、ある時には新聞の立ち売り・・・ 宮本百合子 「その人の四年間」
・・・――巨人が退屈まぎれに造ったのだというS山を正面に、それから左右に拡がって次第次第に高く立派になっている山並みに囲まれた盆地のところどころには、緑色をたっぷり含ませた刷毛をシュッ、シュッ、シュッと二三度で出来上ったような森や林が横たわってい・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫