・・・「前人の跡を見るが好い。あそこに君たちの手本がある」と。しかし百の游泳者や千のランナアを眺めたにしろ、忽ち游泳を覚えたり、ランニングに通じたりするものではない。のみならずその游泳者は悉く水を飲んでおり、その又ランナアは一人残らず競技場の土に・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・の縁であるが如しと前人も説いているが、稲荷に狐は何の縁もない。ただ稲荷は保食神の腹中に稲生りしよりの「いなり」で、御饌津神であるその御饌津より「けつね」即ち狐が持出されたまでで、大黒様(太名牟遅神に鼠よりも縁は遠い話である。けれども早くから・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・誰でも前人以外に新機軸を出さねばならぬと誨えられた。先生の文章に於けるや、苦心常に此如きものがあった。先生の文は決して売らんがために作るものではなかった。其売れる売れないとは毫も文士として先生の偉大を損するに足らぬのである。・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・余が博士を辞する時に、これら前人の先例は、毫も余が脳裏に閃めかなかったからである。――余が決断を促がす動機の一部分をも形づくらなかったからである。尤も先生がこれら知名の人の名を挙げたのは、辞任の必ずしも非礼でないという実証を余に紹介されたま・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・徒らに高く構えて人情自然の美を忘るる者はかえってその性情の卑しきを示すに過ぎない、「征馬不レ前人不レ語、金州城外立二斜陽一」の句ありていよいよ乃木将軍の人格が仰がれるのである。 とにかく余は今度我子の果敢なき死ということによりて、多大の・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・と言うがごとき、蕪村の故意に用いたるものとおぼし。前人の句またこの語を用いたるものなきにあらねど、そは終止言として用いたるが多きように見ゆ。蕪村のはことさらに終止言ならぬ語を用いて余意を永くしたるなるべし。をさな子の寺なつかしむ銀杏かな・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・明治の聖代になってから以還、分明に前人の迹を踏まない文章が出でたということは、後世に至っても争うものはあるまい。露伴の如きが、その作者の一人であるということも、また後人が認めるであろう。予はこれを明言すると同時に、予が恰もこの時に逢うて、此・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・スチルネルが鋭い論理で、独創の議論をしたのとは違って、大抵前人の言った説を誇張したに過ぎない。有名な、占有は盗みだという語なんぞも、プルウドンが生れるより二十年も前に、Brissot が云っている。プルウドンという人は先ず弁論家というべきだ・・・ 森鴎外 「食堂」
出典:青空文庫