・・・寺田は素行不良の理由で免職になったことをまるで前科者になってしまったように考え、もはや社会に容れられぬ人間になった気持で、就職口を探しに行こうとはせず、頭から蒲団をかぶって毎日ごろんごろんしていた。夜、一代の柔い胸の円みに触れたり、子供のよ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・きけば前科八犯の博徒で入獄するたびに同房に思想犯が膝をかかえて鉛のように坐っていたのだ。 最近父親の投書には天皇制護持論が多い。 織田作之助 「実感」
・・・ 三十歳をすぎている小使は、過去に暗い経歴を持っている、そのために内地にはいられなくて、前科者の集る西伯利亜へやって来たような男だった。彼の表情にも、ものごしにも、暗い、何か純粋でないものが自ら現れていた。彼は、それを自覚していた。こう・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・自分の醜態の前科を、恥じるどころか、幽かに誇ってさえいた。実に、破廉恥な、低能の時期であった。学校へもやはり、ほとんど出なかった。すべての努力を嫌い、のほほん顔でHを眺めて暮していた。馬鹿である。何も、しなかった。ずるずるまた、れいの仕事の・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・が、その人はよしなされ。前科者じゃぞ。前科九十八犯じゃぞ。」 清作が怒ってどなりました。「うそをつけ、前科者だと。おら正直だぞ。」 大王もごつごつの胸を張って怒りました。「なにを。証拠はちゃんとあるじゃ。また帳面にも載っとる・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・ その頃、前科五犯という女賊が入っていて、自分は栃木刑務所、市ケ谷刑務所の内の有様をいろいろ訊いた。栃木の前、その女は市ケ谷に雑役をやらされていて、同志丹野せつその他の前衛婦人を知っているのであった。 市ケ谷の刑事既決女囚は、昔・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・みなさまから頂くもので、こんにちの事情の中にあってさえ一つの闇買いもしないで過せる首相の妻という立場にいたら、この四十七歳の人妻も前科者にはならなかった。自分で、物価の統制に関する法律が悪法であると明言しながら、それが法律であるからにはひと・・・ 宮本百合子 「再版について(『私たちの建設』)」
出典:青空文庫