・・・会生産と経済とは、封建のままの土地制度、耕農手段を基礎としていて、一握りの進歩的大名と、革新的下級武士と、外部からのヨーロッパ、アメリカとの力が結合して倒幕運動がおこされ、日本の近代企業、銀行、会社の創立は、すべて、政府の上からの保護を必要・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
・・・頼まれた人物は創立当時の価格でそれをうまく受けとって、現価で依頼人に売った。そのことは、半ヵ月も経って初めて技術家にわかった。技術家はそのようにして、今日二十年来の資産の大半を失ったのである。 こういう有様で、その四十万円の修繕をやるに・・・ 宮本百合子 「くちなし」
・・・婦人民主クラブが第一回の創立大会をひらいた。会場である共立講堂へニュースのライトが輝いたらしく、派手な空気は、わたしをおどろかした。婦人民主クラブの成立に関係をもった幾人かの婦人が話をした。加藤シズエ夫人もその一人だった。もうそのころ立候補・・・ 宮本百合子 「現代史の蝶つがい」
・・・けれども、文学運動の面では、新日本文学会の創立大会でも、その後につづく第四回までの大会でも、民主主義文学運動の背骨としての労働者階級の文学の性格と方向とは、明確に規定されなかった。それには次のような原因があった。昔のプロレタリア文学運動の時・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・、文学の隆盛のための組織としてはそれ自身矛盾を包んでいることは既に明らかにされたのであったが、一九三七年という年は、更に建国祭を期して文化勲章が制定せられ、帝国芸術院というものが設立され、文芸懇話会は創立四年目に発展的解消をとげて、新日本文・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・が描いた代々木本部創立当時のおもかげは、何のよびかけももたないだろうか。「二つの庭」がよまれたのは、まだ日本の社会、とくに婦人の生活から封建性がとりのぞかれていないで、その重荷とたたかう重感が、作者と読者とを貫いて生きているからである。こん・・・ 宮本百合子 「事実にたって」
・・・しかしながら、その豊富な経験のなかでは、自身創立された文芸協会で、抱月と松井須磨子の二つの命をやきつくしたようないきさつに接して居られる。また、一度はそこで女優になろうとして後作家となって盛名をうたわれ、幾何もなくアメリカに去った田村俊子氏・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・ 大規模に災害防止研究所が創立されるそうだけれども、そこには特に女子の労働生活からこうむる影響の研究のために、どんな専門部が置かれるだろう。私たち女性は、組織の形はどのようでもいいから、本当に社会に役立っている女性の肉体と精神の健全のた・・・ 宮本百合子 「女性の現実」
・・・彼女は明治三十四年に女子の工芸学校を創立したりして、婦人の向上の社会的足場を技術の面から高めて行こうとする努力をも試みたのであったが、その業績は顕著ならずして、時代の波濤の間に没している。 明治二十年以後の反動期に入ると、近代国家として・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
・・・ それにつけて、一九四六年のはじめの新日本文学会創立大会の日のことを思い出す。その日、サークル活動についての提案者は、わたしだった。まず過去のプロレタリア文学運動時代、サークル活動が、当時の社会状勢から経済・政治闘争に従属させられたり、・・・ 宮本百合子 「その柵は必要か」
出典:青空文庫