・・・そして趣意書を印刷し、それを発送する仕事がはじまった。創立大会を準備する仕事がはじまった。同時に、敗戦後第一回の選挙がせまって、日本の婦人たちがはじめて政治上に意志をあらわす機会もきた。この事情は、はじめぼんやりとした日本の社会と婦人の生活・・・ 宮本百合子 「その人の四年間」
・・・ 婦人民主クラブは、そういう希望の婦人たちの集りとして創立されます。最初の発端は数人の間でまとめられたにしろこれは日本全国のすべての婦人たちのものです。日本全国のすべての婦人が、その苦痛の解決のために、希望の具体化のために、よろこばしい・・・ 宮本百合子 「婦人民主クラブ趣意書」
・・・がもう数年前書かれているのに、マクシム・ゴーリキイが一九〇八年から三四年の間にはいろいろ動揺して、召還主義の連中とカプリの労働学校を創立したり、創神派の弁護者としてレーニンに彼らとの妥協を求めたりしたことは、我々の注目をひきつける。この時代・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」
・・・をもって成長し前進し発展を辿ろうとしているためであろう。「車輪の下」は「青春彷徨」につづいて一九〇八年ごろ、日本で云えば明治四十二年小山内薫が初めて「自由劇場」を創立して、日本の文学は自然主義の頂点に立っていた時分に書かれた作品である。・・・ 宮本百合子 「若き精神の成長を描く文学」
・・・土地の有償自作創立案を政府が発表するや否や、日本中の大地主たちは、忽ち親族間に土地を分割しはじめた。そして小地主の土地をとり上げはじめた。 そもそも婦人参政権を認めたにしても、極めて形式的で誠意のないことにおどろかされる。婦人に参政権は・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ 製造所の創立第二十五年記念の宴会が紅葉館で開かれた。何某の講談は塩原多助一代記の一節で、その跡に時代な好みの紅葉狩と世話に賑やかな日本一と、ここの女中達の踊が二組あった。それから饗応があった。 三間打ち抜いて、ぎっしり客を詰め込ん・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
出典:青空文庫