・・・戦の街を幾度もくぐったらしい、日に焼けて男性的なオッタヴィアナの顔は、飽く事なき功名心と、強い意志と、生一本な気象とで、固い輪郭を描いていた。そしてその上を貴族的な誇りが包んでいた。今まで誰れの前にも弱味を見せなかったらしいその顔が、恨みを・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ おとめはもとよりこの武士がわかいけれども勇気があって強くってたびたびの戦いで功名てがらをしたのをしたってどうかその奥さんになりたいと思っていたのですから、涙をはらはらと流しながら嘆息をして、なんのことばの出しようもありません。しまいに・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・しかる処へ、奥方連のお乗込みは、これは学問修業より、槍先の功名、と称えて可い、とこう云うてな。この間に、おりく茶を運ぶ、がぶりとのむ。 はッはッはッはッ。撫子弱っている。村越 いや、召使い……なんですよ。・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・野心も功名もむしろ心外いっさいの欲望も生命がどうかこうかあってのうえという固定的感念に支配されているのだ。僕の生命からしばらくなりとも妻や子を剥ぎ取っておくならば、僕はもう物の役に立たないものになるに違いないと思われるのだ。そりゃあまり平凡・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・一国一都市の勃興も滅亡も一人一家の功名も破滅も二十五年間には何事か成らざる事は無い。 博文館は此の二十五年間を経過した。当時本郷の富坂の上に住っていた一青年たる小生は、壱岐殿坂を九分通り登った左側の「いろは」という小さな汁粉屋の横町を曲・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・切めて山本伯の九牛一毛なりとも功名心があり、粘着力があり、利慾心があり、かつその上に今少し鉄面皮であったなら、恐らく二葉亭は二葉亭四迷だけで一生を終らなかったであろう。 が、方頷粗髯の山本権兵衛然たる魁偉の状貌は文人を青瓢箪の生白けた柔・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 恋しき父母兄弟に離れ、はるばると都に来て、燃ゆるがごとき功名の心にむちうち、学問する身にてありながら、私はまだ、ほんのこどもでしたから、こういういたずらも四郎と同じ心のおもしろさを持っていたのです。 十幾本の鉤を凧糸につけて、その・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ 一番槍の功名を拙者が仕る、進軍だ進軍だ』とわめいて真っ先に飛び出した。僕もすぐその後に続いた。あだかも従卒のように。 爪先あがりの小径を斜めに、山の尾を横ぎって登ると、登りつめたところがつの字崎の背の一部になっていて左右が海である、そ・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・ただその資質に一点我慢強いところのある上に、維新の際妙な行きがかりから脇道へそれて遂に成るべき功名をも成し得ず、同輩は侯伯たり後進は子男たり、自分は田舎の老先生たるを見、かつ思う毎にその性情は益々荒れて来て、それが慣い性となり遂には煮ても焼・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・「さればサ。功名手柄をあらわして賞美を得た話は折々あるが、失敗した談はかつて無い。」 自分は今天覧の場合の失敗を恐れて骨を削り腸を絞る思をしているのである。それに何と昔からさような場合に一度のあやまちも無かったとは。「ムーッ。」・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
出典:青空文庫