・・・くに蘇生をさしたそうだが、こんな恐ろしい目には始めて出会ったと物語って、後でいうには、これは決して怨霊とか、何とかいう様な所謂口惜しみの念ではなく、ただ私に娘がその死を知らしたいが為めだったろうと、附加えていたのであった。・・・ 小山内薫 「因果」
・・・故人となってしまった人というならまだしも、七十五歳の高齢とはいえ今なお安らかな余生を送っている人を、その人と一面識もない私が六年前の古い新聞の観戦記事の切り抜きをたよりに何の断りなしに勝手な想像を加えて書いたというだけでも失礼であろう。しか・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・斯う云って、彼の名をも書き加えて、Kが彼の分をも負担したのであった。 それから四十九日が済んだという翌くる日の夕方前、――丁度また例の三百が来ていて、それがまだ二三度目かだったので、例の廻り冗い不得要領な空恍けた調子で、並べ立てていた処・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・そして私はその空想からますます陰鬱を加えてゆく私の生活を感じたのである。 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・に渡りて軍の巷危うきを犯し、露に伏し雨風に打たるる身の上を守りたまえと祈念し、さてその次にはめでたく帰国するまで幸衛門を初めお絹お常らの身に異変なく来年の夏またあの置座にて夕涼しく団居する中にわれをも加えたまえと祈り終わりてしばしは頭を得上・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・妻が必ず職業婦人になって、夫の収入に加えねばならぬというのではない。働く腕、金をとる才能のあることがかえって夫婦愛を傷つける場合は少なくないし、またあまりそういう働きのあるような婦人は、愛が濃やかでなく、すべて受身でなく可愛らしげがないとい・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・ 内地米と外米の五分五分の混合、あるいは六分四分の混合に平麦を加えるとどうもばらつきようがひどいので糯米を二分ほど加えてみた。 平麦のかわりに丸麦を二度たきとして、ねりつぶしてねばりをつけた。 黄粉をまぶして食ってみた。 数・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・と古えの賤の苧環繰り返して、さすがに今更今昔の感に堪えざるもののごとく我れと我が額に手を加えたが、すぐにその手を伸して更に一盃を傾けた。「そうこうするうち次郎坊の方をふとした過失で毀してしまった。アア、二箇揃っていたものをいかに過失・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・ 何となく寂びれて来た矢場の中には、古城に満ち溢れた荒廃の気と、鳴を潜めたような松林の静かさとに加えて、そこにも一種の沈黙が支配していた。皮の剥げたほど古い欅の若葉を通して、浅間一帯の大きな傾斜が五月の空に横わるのも見えた。矢場の後にあ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・それだからその圧を加えられて、ぽうっとしてよろめきながら歩いているのである。そんな風であるから、どうして外の人の事に気を留める隙があろう。自分と一しょに歩いているものが誰だということをも考えないのである。連とはいいながら、どの人をも今まで見・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
出典:青空文庫