・・・二人は冷酒の盃を換わしてから、今日までの勘定をすませた後、勢いよく旅籠の門を出た。 外はまだ人通りがなかった。二人はそれでも編笠に顔を包んで、兼ねて敵打の場所と定めた祥光院の門前へ向った。ところが宿を離れて一二町行くと、甚太夫は急に足を・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・けれども年を勘定すれば生まれる前を六十としても、かれこれ百十五六にはなるかもしれない。」 僕は部屋の中を見まわしました。そこには僕の気のせいか、質素な椅子やテエブルの間に何か清らかな幸福が漂っているように見えるのです。「あなたはどう・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ 単に利害勘定からいっても、私の父がこの土地に投入した資金と、その後の維持、改良、納税のために支払った金とを合算してみても、今日までの間毎年諸君から徴集していた小作料金に比べればまことにわずかなものです。私がこれ以上諸君から収めるのは、・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・ 祖母は、その日もおなじほどの炎天を、草鞋穿で、松任という、三里隔った町まで、父が存生の時に工賃の貸がある骨董屋へ、勘定を取りに行ったのであった。 七十の老が、往復六里。……骨董屋は疾に夜遁げをしたとやらで、何の効もなく、日暮方に帰・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・かぶった処で、背負った処で、人間のした事は、人間同士が勝手に夥間うちで帳面づらを合せて行く、勘定の遣り取りする。俺たちが構う事は少しもない。三の烏 成程な、罪も報も人間同士が背負いっこ、被りっこをするわけだ。一体、このたびの事の発源は、・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・というような調子でやって来て、帰った時にはその晩の勘定五円なにがしを払ってあったので、気の毒に思って、僕はすぐその宿を訪うと、まだ帰らないということであった。どこかでまた焼け酒を飲んでいるのだろうと思ったから、その翌朝を待って再び訪問すると・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・丁度兄の伊藤八兵衛が本所の油堀に油会所を建て、水藩の名義で金穀その他の運上を扱い、業務上水府の家職を初め諸藩のお留守居、勘定役等と交渉する必要があったので、伊藤は専ら椿岳の米三郎を交際方面に当らしめた。 伊藤は牙籌一方の人物で、眼に一丁・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・随って社員は月末の米屋酒屋の勘定どころか煙草銭にもしばしば差支えた。が、社長沼南は位置相当の門戸を構える必要があったとはいえ、堂々たる生活をしながら社員が急を訴えても空々しい貧乏咄をしてテンから相談対手にならなかった。 沼南はまた晩年を・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・普通十人家族で千二百円引き出せる勘定だが、千円と前の三百円、合わせて千三百円、一家自殺を図った家庭が普通一般の家庭と変らぬことになる――という筋は少し無理かな。いや、無理でなくするのが小説家の腕だ。――おい、君、仕事をはじめるから、帰ってく・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・そして、彼等はただ老境に憧れ、年輪的な人間完成、いや、渋くさびた老枯を目標に生活し、そしてその生活の総勘定をありのままに書くことを文学だと思っているのである。しかも、この総勘定はそのまま封鎖の中に入れられ、もはや新しい生活の可能性に向って使・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫