・・・だしい貧家に生れたので、思うように師を得て学に就くという訳には出来なかったので、田舎の小学を卒ると、やがて自活生活に入って、小学の教師の手伝をしたり、村役場の小役人みたようなことをしたり、いろいろ困苦勤勉の雛型その物の如き月日を送りながらに・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・作者は、天地人三才の思想を背景にして、之を創作せるものなるべく、漢人殊に儒教が天子に望む所は公明正大、その間に一點の私を插むなからんことなれば、この理想を堯に托してその禪讓をつくり、人道の理想を舜に、勤勉の理想を禹に假托せるならんか。 ・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・この大変災を機会として、すべての人が根本に態度をあらためなおし、勤勉質実に合理的な生活をする習慣をかため上げなければならないと思います。 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・晩年には始終神経衰弱の気味があったが、これはおそらく極度の勤勉の結果であろうと想像された。 米国から講演の依頼を受けた時にも健康の点でかなり躊躇していたが、人々もすすめたので思い切って出かけたのであった。最近に出版された John R.・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・これも真面目な勤勉な市民が羽目をはずして怠け巫山戯る日であった。これは警察の方でとうに制限を加えたようである。 どんな勤倹な四民も年に一度のお花見には特定の「濫費デー」を設けた。ある地方の倹約な商家では平日雇人のみならず主人達も粗食をし・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・しかし茶目気分横溢していてむつかしい学科はなんでもきらいだという悪太郎どもにとっては、先生の勤勉と、正確というよりも先生の教える学問のむつかしさが少なからず煙たくもあったらしい。当時、アメリカの民謡の曲を取った「ヒラ/\と連隊旗」という唱歌・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・其時の馬方姿である。従来酒は嫌な上に女の情というものを味う機会がなかったので彼は唯働くより外に道楽のない壮夫であった。其勤勉に報うる幸運が彼を導いて今の家に送った。彼は養子に望まれたのである。其家は代々の稼ぎ手で家も屋敷も自分のもので田畑も・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・積極的にと云うと言い過ぎるかも知れぬけれども、暗に人から瞞されて、働かないでもすんだところを、無理に馬鹿気た働きをした事になっているから、奥さんの実着な勤勉は、精神的にも、物質的にも何らの報酬をモーパッサン氏もしくは読者から得る事ができない・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・国の物質的開化がどのくらい進歩してその進歩の裏面にはいかなる潮流が横わりつつあるか、英国には武士という語はないが紳士と〔いう〕言があって、その紳士はいかなる意味を持っているか、いかに一般の人間が鷹揚で勤勉であるか、いろいろ目につくと同時にい・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・そしてそれらの国の果て果てで、平和な生活の中では勤勉な市民であり、思いやりのある若者たちでもあった数十・数百万の人々が、軍の力で気を狂わせられていなかったら、決して行わなかった残虐の数々を強いられました。その軍隊が壊滅した時、軍隊は同じその・・・ 宮本百合子 「新しいアジアのために」
出典:青空文庫