・・・今日に至るまで、これらの幼稚なる偶像破壊者の手を免がれて、記憶すべき日本の騎士時代を後世に伝えんとする天主閣の数は、わずかに十指を屈するのほかに出ない。自分はその一つにこの千鳥城の天主閣を数えうることを、松江の人々のために心から祝したいと思・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・ 慌しく丁と目の前へ、一杯に十指を並べて、左右に暗を掻探ったが、遮るものは何にもない。 さては、暗の中に暗をかさねて目を塞いだため、脳に方角を失ったのであろうと、まず慰めながら、居直って、今まで前にしたと反対の側を、衝と今度は腕を差・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・物がったりする人々には、余り賞されないのみならず、あるいはクサされる傾きさえある人でありますが、先ず日本の文学史上にはどうしても最高の地位を占めて居る人でございまして、十二分に尊敬すべき人だとは、十目十指の認めて居るところでございます。なる・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・ 痩躯、一本の孟宗竹、蓬髪、ぼうぼうの鬚、血の気なき、白紙に似たる頬、糸よりも細き十指、さらさら、竹の騒ぐが如き音たてて立ち、あわれや、その声、老鴉の如くに嗄れていた。「紳士、ならびに、淑女諸君。私もまた、幸福クラブの誕生を、最もよ・・・ 太宰治 「喝采」
・・・きのう、きょう、二日あそんで、それがため、すでに、かの穴蔵の仕事の十指にあまる連絡の線を切断。組織は、ふたたび収拾し能わぬほどの大混乱、火事よりも雷よりも、くらべものにならぬほどの一種凄烈のごったがえし。それらの光景は、私にとって、手にのせ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者ども・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・ いま、読者と別れるに当り、この十八枚の小説に於いて十指にあまる自然の草木の名称を挙げながら、私、それらの姿態について、心にもなきふやけた描写を一行、否、一句だにしなかったことを、高い誇りを以って言い得る。さらば、行け!「この水や、・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・こうして寝ていて、十指を観る。うごく。右手の人差指。うごく。左の小指。これも、うごく。これを、しばらく、見つめて居ると、「ああ、私は、ほんとうだ。」と思う。他は皆、なんでも一切、千々にちぎれ飛ぶ雲の思いで、生きて居るのか死んで居るのか、それ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・アメリカにもイギリスにも婦人の通俗作家、探偵小説の作者はあんなにいて、それだけの文化と文学の土台から評論家として立っている婦人は恐らく十指に満つまい。 文学においても、婦人の活動の最低の線がどこまで拡がり且つ上って来ているかということが・・・ 宮本百合子 「文学と婦人」
出典:青空文庫