・・・と言っても、決して、ことさらに卑下しているわけではございません。私も、既に四十ちかくに成りますが、未だ一つも自身に納得の行くような、安心の作品を書いて居りませんし、また私には学問もないし、それに、謂わば口重く舌重い、無器用な田舎者であります・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・私が、ふっと口を噤んで片手にビイルのコップを持ったまま思いに沈んでいるのを、見兼ねたか、少年佐伯は、低い声で、「何も、そんなに卑下して見せなくたって、いいじゃないか。」と私を慰め諭すように言って、私の顔を覗き込み、「ごめんよ。君は知って・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・いまは、あのように街路で無心のふうを装い、とるに足らぬもののごとくみずから卑下して、芥箱を覗きまわったりなどしてみせているが、もともと馬を斃すほどの猛獣である。いつなんどき、怒り狂い、その本性を暴露するか、わかったものではない。犬はかならず・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・そうして、ストイックな生活をしている人を、けむったく思いながらも、拒否できず、おっかなびっくり、やたらに自分を卑下してだらだら交際を続けているものである。三つには、杉浦透馬に見込まれたという自負である。見込まれて狼狽閉口していながらも、杉浦・・・ 太宰治 「花火」
・・・ いつもあの人は、自分を卑下して、私がなんとも思っていないのに、学歴のことや、それから二度目だってことや、貧相のことなど、とても気にして、こだわっていらっしゃる様子で、それならば、私みたいなおたふくは、一体どうしたらいいのでしょう。夫婦・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・彼が私の力を仮りることを屑よしとしていないのでないとすれば、そうたいした学校を出ていない自分を卑下しているか、さもなければその仕事に興味をもたないのであろうと考えられた。私には判断がつきかねた。「雪江はどうです」私はそんなことを訊ねてみ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・第一『浮雲』から御話するが、あの作は公平に見て多少好評であったに係らず、私は非常に卑下していた。今でも無い如く、其当時も自信というものが少しも無かった。然るに一方には正直という理想がある。芸術に対する尊敬心もある。この卑下、正直、芸術尊敬の・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・ 只自分を意味もなく卑下する事ばっかりを教え込まれるものである。 只むやみと卑下する人の心を思うと私は何だか変な気持になる。 そう云う心が二人の中に溝を掘りはすまいかと不安がるのである。 私の親しい只一人の友達が止を得ぬ事か・・・ 宮本百合子 「M子」
・・・ 外面の卑下と内面の優越をもって「であります」調の私的評論が流行したのも一九四九年の一現象であった。個人としてそれらの人々がどのように歴史の現実をうけとり、それを表現し、そのことによって、進んでゆく歴史と自分との関係を、おのずから客観の・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・ 死ぬにまで、苦々しい施恩と卑下に縛られなければならないと云う考えは、心を暗くします。 他人の世話に成らない為に、養老院と、慈善病院があるではないかと云う人が無くはありますまい。けれども、私共が自分自身を、その裡に置いて考え、感じた・・・ 宮本百合子 「ひしがれた女性と語る」
出典:青空文庫